インドネシア 異文化体験 2004 総括

引率者:斉藤悦則(商経学科教員)


 インドネシアでの2004年度・異文化体験授業は、8月26日から9月15日にかけて行われた。参加した学生はいずれも商経学科の学生19名(2年生11名、1年生7名、2部男子学生1名)で、引率者(斉藤悦則と野村俊郎)もともに商経学科の教員である。
 今年度も、出発前に3回にわたるオリエンテーションをおこなった。
 今年度の特徴は、UNPAD(パジャジャラン大学)での2週間の研修の前に、バリ島の文化に触れ、そして研修後に古都ジョクジャカルタを訪れ、ボロブドールなどの文化遺跡に触れる機会を設けたことである。こうして全体として3週間の研修となった。
 以下、消化された研修日程を紹介し、今期の成果と問題点、そして来期にむけて検討されるべきことがらについて述べたい。

 


【研修の内容】

出発から帰国までの流れは以下のとおりである。

8月26日(木)09:50 鹿児島→ソウル(大韓航空 KE786)
16:00 ソウル→ジャカルタ(KE627)
23:00 ジャカルタ→デンパサール(ガルーダ航空 GA652)
8月27日(金)01:40 バリ島着 バリ・ヒルトンホテルへ
8月28日(土)バリ島見学
8月29日(日)14:30 デンパサール→バンドン(ムルパティ航空 MZ611)
16:40 バンドン着 それぞれホームステイ先へ
8月30日(月)歓迎会(UNPAD学生によるアートパフォーマンス)
昼からオリエンテーション(文学部長ファティマー教授による)
8月31日(火)授業開始(午前中3時間半、午後1時間)
放課後はスンダ民族舞踊と音楽のレッスン(お迎えまで)
9月1日(水)授業(午前中のみ)
スンダ料理店で昼食後、地学博物館見学→バスで市内見学(下車なし)
夕方から竹楽器(アンクルン)演奏会場
9月2日(木)授業(午前と午後)
夕方4時、ショッピングモール(BIP)見学
9月3日(金)授業(午前中のみ)
午前中UNPAD本校舎(経済学部など)見学
午後は民族音楽の練習のみで、3時に解散(お迎え)
9月4日(土) 遠足(火山と温泉)
帰路、バンドン市内のお土産物屋で買い物
9月5日(日)自由行動日
9月6日(月)午前中の授業は半分で終了。学校近くのアウトレット見学。
午後、ふたたび授業。夕方まで民族舞踊の練習。
9月7日(火) 授業(午前と午後)
午後の後半は舞踊の練習。
9月8日(水)授業(午前中のみ)
街中のレストランで教員らとともに昼食。
その後、町外れの縫製工場(Cardinalブランドで従業員数3700人)見学。
帰路、アウトレットショップ街で1時間自由行動。
9月9日(木)[ジャカルタで爆弾テロがあったが、バンドンは平穏]
授業(午前中のみ)
午後は民族衣装の着付け。
9月10日(金)最終日ゆえ、到達度テスト(午前中)
午後はお別れ会(ヒメンドラ学長夫妻、ウスマン副学長夫妻も参加)
学生たちは習ってきた踊りや太鼓を披露し、喝采を浴びる。
9月11日(土) 早朝7時の汽車でジョクジャカルタへ。(午後2時ごろ到着)
安ホテル「プルウィタ・サリ」に宿泊
9月12日(日)ボロブドール遺跡、プランバナン遺跡見学
9月13日(月)王宮(タマン・サリ)など市中見学
9月14日(火)インドネシア滞在最終日ゆえ、お買い物など。
19:00 ジョクジャカルタ→ジャカルタ(GA215)
22:30 ジャカルタ→ソウル(KE628)
9月15日(水)07:40 ソウル着(夕方までソウル市内見学)
18:00 ソウル→鹿児島(KE785)
19:30 鹿児島空港にて解散。

 


【成果】

1.異文化との接触

メインのバンドン研修のほかに、バリ島とジョクジャカルタという古都にそれぞれ数日滞在して、インドネシアの多様な文化の特徴的な部分にふれることができた。
 バンドンでの2週間にわたるホームステイは、生活のさまざまな場面での文化の違いを肌で感じとらせた。複数のメイドや運転手、庭師をかかえる富裕層の暮らしぶりは、学生たちを驚かせた。反面、浴槽やトイレの様態や使い方が日本と大きく異なることに、学生の多くは困惑したが、それも良い経験であった。

2.語学研修

UNPAD でのインドネシア語研修は、例年のような「初心者コース」でなく、「中級向けの短期集中講座」(インテンシブ・コース)として行われた。(これについては、むしろ「問題点」として後で詳述したい)
 学生たちは最初とまどい、不平をこぼしながらも、よくフォローし、最終日の到達度テストでも優秀な成績をおさめることができた。UNPAD 側も学生たちの声を汲んで、かなり自在に途中でプログラムを修正してくれた。学生の好成績はそうした配慮のおかげでもある。

参加学生19名の語学テストの成績は以下のとおり。
 100点:1名
 90点台:4名(2部男子学生は96点)
 80点台:5名
 70点台:5名
 60点台:2名
 60点未満:2名

 


【問題点】

1.研修の時期

 バンドンでの研修開始日、8月30日(月)は UNPAD の入学式と重なった。そのため、当初予定されていた学長との面会は不可能となった。また、われわれがバンドンを去った9月11日(土)は UNPAD の開学記念日で、例年大きなイベントが催され、滞在していれば招待されていたはずだ。
 日程の設定がこうした不具合を伴ったのは、参加学生のうち2名が日本での大学編入試験を9月中旬に受けるので、帰国日をそれに間に合うよう設定したためである。
 新学期の受講登録などで学内が一番混雑し、教職員が多忙を極めていた時期をわれわれは選んでしまった。
 また、旅程の組み方にも参加学生から不満が出た。すなわち、バリ島の高級ホテルから始まり、バンドンでのホームステイを経て、ジョクジャカルタの安ホテルで締めくくり、というのはグレードが下降する形となる。バンドン以外のところに行くのであれば、締めくくりをバリ島にして、研修の「ごほうび」として最後の日々を楽しみたい、と学生たちはいう。納得できる話であった。 

2.プログラムの不具合

 UNPAD でのインドネシア語研修は大学直営の UPT(専門学校のようなもので、それぞれの学部が経営し、たとえば文学部の場合は語学 UPT、経済学部にはビジネス UPTがある)で行われる。日本人を対象とする場合、これまでは文学部の日本語学科が教育を担当していた。ところが、どういう経緯からか(外部者には不明のことながら)、今年からは日本人を対象とする場合でも文学部が直接管理することになった。すなわち、日本語学科教員は排除された。わずかに、文学部長のもとで指導を受けている大学院生(日本語学科の教員でもある)が加わった。
 文学部長ファティマー教授が組み立てたプログラムには、インドネシア語でインドネシア語を教える「中級以上」のコースしか用意されていなかった。亜細亜大学や大東文化大学からの研修者のように、2年以上インドネシア語を勉強してきた学生向けのプログラムである。しかし、本学の学生のような初心者には、このプログラムはいかにも不適で、じっさいオリエンテーション(文学部長がおこなった)のときから学生は音を上げていた。日本語学科教員が運営していた時代は、初心者向けというか、「お遊び半分」のような講座が提供されていたが、今年度は「みっちり勉強モード」の時間割となった。しかし、学習効果の面で、文学部長のもくろみは大きくはずれたといわざるをえない。
 午前中3時間半、午後1時間、そして民俗舞踊などの実習が2時間と、学生たちはほぼ終日教室内にとどまる。当初の予定では、このパターンが2週間の研修期間の全体を貫くはずだった。しかし、学生たちの不満の声は高まり、学校側を動かした。
 学生たちの要求は、中級インドネシア語の学習ではなく、「サバイバル・インドネシア語」を学んで、街に出て買い物をしたり、若者の集う場所で遊んだりすることであった。日本語学科教員たちはこうした日本人学生の「嗜好」をよく承知していたが、文学部長にはそのあたりがよく飲み込めていなかったようである。それでも、学生の声に耳を傾けてくれ、少しずつ教室外での「遊び」の要素を加えてくれた。さらに、当初予定されていた講師陣(文学部のインドネシア語学科教員)は毎日出勤するものの、講義は担当せず、けっきょく教室では日本語ができる講師2名が交互に教鞭をとった。

3.交流不足

 これも日本語学科教員排除と関係することだが、UNPADの日本語学科で学ぶインドネシア人学生との交流が今年度はまったくなかった。
 また、ここ数年、県立短大の学生が「おみやげ」として持参し、日本語学科の図書室に寄贈している日本語の本(ベストセラーものが喜ばれる)も、今年の場合は文学部が受け取り、その収納先は不明である。
 UPT の所在地も、かつては UNPAD 本校舎(経済学部などを含む)の対面にあり、9月初旬は受講登録などで学生がまわりにあふれていたが、今年度はやや町外れの小さな平屋へ移転し、それによっても UNPAD 学生との交流機会はゼロに近くなった。わずかに、太鼓演奏の指導に来る学生との交流があったのみ。

4.ホームステイ先

 バンドンでのホームステイ先は UNPAD の教員および彼らの「個人的なツテ」をたどって確保されるもののようである。
 今年は UPT から日本語学科教員が排除されたため、文学部長を始めとする教員たちの知り合いが受け入れてくれた。日本語学科教員たちの知りあいと比較すると、いずれの方々もやや年齢が高い。いわば、おじいさん、おばあさんたちの家庭に学生たちは引き取られていった。
 生活の安全という点では、まことに申し分ない環境がえられたけれども、その反面、学生たちは「夜遊びをする」「市内循環バスに乗る」「大衆の買い物場所であるパサールなどへ行く」などの冒険を抑制された。学生たちと同世代の若者が家庭にいなかった(幼い孫たちはいたようだ)。そのため、例年にくらべ、若者が出入りする場所へ案内してもらった学生たちはきわめて少なかった。
 もちろん、運転手付きの家庭であるから、学生たちはショッピングに連れて行ってもらったようだが、ほとんどの場合の行き先は、高級で近代的で清潔なショッピングモールばかりであった。

 


【検討されるべきことがら】

1.研修の日程と旅程

 UNPAD でビッグイベントが催される9月11日(!)の開学記念日をはさむような日程にすべきである。これと重なれば、国際的な学術交流協定校の一員として招待される。学園祭にも似た催しに触れて楽しむこともできる。また、この時期は受講登録も一段落し、教職員の忙しさもやわらいでいる。
 旅程については、バンドンでの研修を最初にし、遊びの部分は最後にすべきである。大韓航空を利用すれば、ジャカルタ到着は夕方なので、今年はそのままバリ島に向かったが、かつて行なったようにバンドンでチャーターしたバスで初日にバンドンに直行するのがよい。バンドン到着は深夜になるから、その夜だけはホテルに泊まって体を休めたい。
 バンドン研修後、バリ島などで「遊ぶ」場合、あえて高級ホテルに泊まる必要はなかろう。レギャンやクタ地区など「危なそうな」場所でも、中級ホテルに泊まればそれほど危険ではない。第一、費用が安くてすむ。今年度のジョクジャカルタの安ホテルのことを思えば、バリ島でも中級ホテルなら上等だ。(また、今年度の経験でいえば、バリ島の高級ホテル「ヒルトン・バリ」は室内電話も貧弱でネット接続に支障が出たし、館内の店舗は不況のためすべて閉鎖され、値段ほどのありがたみがなかった)

2.語学研修のプログラム

 あらかじめ要求を伝えれば、なにごとによらず便宜をはかる姿勢を UNPAD 文学部は示しているので、かりに UPT からの日本語学科教員排除が続いたとしても、われわれの意向にそった効果的な研修プログラムが期待できる。
 すなわち、県立短大の学生が求めるもの(サバイバル用のインドネシア語、アウトレットでのお買い物、繊維産業や兵器産業などの工場見学、キャンパスめぐり、本屋めぐり、ライブハウスめぐり)を列挙し、あるいはプログラム案を提示し、相互に調整するようにしたい。

3.学生間の交流

 これは亜細亜大学がすでにおこなっている方式を真似たい。
 すなわち、講義は午前中のみとし、午後は日本人学生1名につき UNPAD の学生1名をつけ、いっしょに行動させる。これにより市内循環バスに乗ったり、パサールの人込みのなかを歩いたり、若者のつどう屋台などへ出かけたりすることができる。UNPAD の学生は必ずしも日本語学科の学生ではないから、どうしてもインドネシア語や英語でコミュニケーションをおこなわねばならない。UNPAD の学生はアルバイトの形でこれにかかわる。日本人学生2名が組めば、合計4名での集団行動になり、それなりに安全性も高まる。
 こうした形で半日「自由行動」ができれば、今年度のようなホームステイ先での「外出抑制」があっても、学生の不満は生じないだろう。

[記:2004年9月21日]