地研叢書『地域に根ざし,地域を活かす大学』(2002年)に掲載

県立短大のユニーク・ポジショニング

斉藤悦則 

 

 学外の有識者が鹿児島県立短期大学(以下,県立短大と略す)を評価する,いわゆる外部評価委員会が2回にわたって開かれた(2001年11月14日と12月25日)。

 こうした外部評価は,昨今,全国のあちこちの大学で展開され,一種の流行現象とも見なしうる。大学は自己改革に取り組んでいることをアピールするために,外部評価という「体裁」を整えるのが流行しているのである。改革の努力をしているように見える,その形が大事なのである。

 しかし,県立短大は違う。すくなくとも県立短大の商経学科は本気である。県立短大がまとめた自己点検・自己評価文書のなかで,商経学科は教育の目標・理念とその到達度(成果と問題点)を率直に明らかにして,学外の委員からも率直な意見が述べられることを期待した。それは商経学科自身が求めている改革の「方向性」が外部の目にも妥当なものと映るかどうか,それを知りたかったからである。

 鹿児島県が設置した唯一の高等教育機関として,真に鹿児島県民の「役に立つ」大学でありたいと願ってきた。鹿児島県の経済発展・県民の生活向上に貢献する教育研究機関として成長していきたいという言葉は,単なる美辞麗句,空文句ではない。そうした方向での自己成長がなければ県立の大学として存在する価値がないからである。ところが,県立短大のこの「志向」を,設置者(鹿児島県)は喜ばない。不思議なことであった。県立短大が「県民のため」と信ずることがらの方向性がそもそも間違っているのだろうか。自己点検文書を読んで外部評価委員会はどのように判断するのか。県立短大の商経学科教員集団は,本当にそれを知りたかったのである。

 はたせるかな,われわれの積年の謎は外部評価委員たちの発言によって見事に解かれることになる。

 

行政サイドからの意見

 県立短大の改革について,そもそも設置者(県)はどのような考えをもっているのか。それを抜きに改革を議論しても始まらない――と,これは第1回の外部評価委員会の後,ある委員が寄せた意見である。

 外部評価委員会には「設置者」を代表するような形で,県庁の総務課から1名が委員として加わっているが,やはり第1回の委員会の後,その委員からはつぎのような意見が寄せられた。個人名で書かれたその「意見」の全文を紹介しよう。

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 本学の将来構想との関連で県立4年制大学については

@今後の社会経済状況の変化
A県内の既存大学への入学状況
B県立短期大学の果たすべき役割
C国立大学の独立行政法人化の動向

等も十分見極めながら検討がなされることが必要と考えており,具体的には以下のとおりと考えている。

@少子化が進行し,18歳人口が減少するのに伴い,平成21年度の全国の大学・短期大学の定員と志願者数は,入学定員679千人に対し志願者数は707千人になると見込まれ,全国的に大学全入時代の到来が予想されること。このため,国は大学の新設について抑制的に対応している他,国立大学の大幅な再編・統合も検討されていること。

A本県においても,全国と同様,18歳人口の減少に伴い,概ね10年後においては,県内の大学へ志願する県内の高校卒業生のほとんどが県内の大学へ入学できる状況となることが予想されること。また,新たな県立大学の設置は,私立大学における入学者の確保に大きな影響を及ぼすことが見込まれ,さらに民間においても,食物栄養分野の学部新設が予定されていること。

B県立短期大学は,他の大学に比べて,志願者率が高く志願者や保護者などからのニーズが高いこと。県立短期大学の卒業者は,就職率が100%に近く,企業など受入サイドのニーズが高いこと。国公立の短期大学へのニーズが極めて高い中にあって,県立短期大学は,唯一の公立短期大学となっていること。

C国は,現在,国立大学を法人化する方向で検討を進めており,県内の国立大学が法人化された場合,これらの大学は,これまでより更に,地域のニーズに対応した大学にならざるを得ないものと予想されるが,これらの法人化された大学が,本県の振興発展のために必要な人材の養成・確保に,どのような役割を果たしていくのか,また,これらの大学の法人化が,地方公共団体による高等教育機関の充実という役割に,どのような影響を与えるかなど,現時点では明確でなく,今後さらに,国の動向を慎重に見極める必要があること。

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 この意見を要約すれば,こうだ。

@18歳人口が減るから,もう新しい大学は不要。
A私立大学から客を奪ってはいけない。
B鹿児島では短大ニーズが高い。
C国立大学が地域のための大学に変わるのを待とう。

 これについては逐語的に反論可能である。

@大学の「顧客」には高齢者や社会人も含まれる。
A少人数教育で独自性を出す。
B短大ニーズは先細り。
C地域のことはまず地域で考えよう。

 しかし,このように反論・反発してもそれはむなしい。なぜなら,県の役人のいうことの方が「リアル」だからである。明治維新のころを除けば,鹿児島県の行政は「来るべき将来」よりも「今ここ」における地元の要請を一番大事にしてきた。また,市町村よりも県を上位に位置づけるヒエラルキーの意識は,県よりも国を上に見ることにつながり,県立の大学より国立の大学の方をほとんど無根拠のまま「上」とした。この役人の意識は同時におおかたの県民の意識でもある。したがって,その発言は揺るぎなく「リアル」なのである。

 県立短大がこれまで県に提出してきた改革プランは,ことごとく無視された。あるいは自己改革の努力そのものが嫌がられてきた。当初不可解だったその態度の理由がここでようやく示されたのである。

 当初は,鹿児島県は「貧乏県」なので大学改革の「費用」に問題があるのかと思い,県に向かって「改革のコストはほとんどかからず,むしろ歳入の向上すら期待できる」と無邪気にも提案したこともあった。しかし,問題は「費用」ではなかった。逆に,新しい土木事業を必要とすると提案した方がまだしも県を喜ばせたかもしれない。

 要するに,国の動向が見えないうちは何もすまい,と県は決めているようであった。自前でものを考えまい,という姿勢である。この慎重さはとても大切な美徳である。よその県はいろいろな新規事業に手を出してやけどをした。新奇なことはまずよそにやらせ,成功が確実なものだけをやろう。大学改革もそうだ。うかつに手を出すべきではない。つごうがよいことに国立大学が率先して冒険しようとしている。その成否を見定めてからでも遅くない。県民に余計な負担をかけまいとする県の役人はかくも善良で,かつ賢明なのである。

 

経済団体サイドからの意見

 鹿児島県経済同友会から選ばれた委員は,第2回の外部評価委員会でつぎのような発言をした。

「そもそもこの委員会は何だ。大学設置基準とかで義務づけられているから開いただけなのか。ここでの発言は,その後の大学運営に反映されるのか」

 つまり,空論・閑談のおつきあいならゴメンだ,というのである。冒頭にこう前ふりをして,発言は続く。

「4年制化する志向が述べられているけれども,いま大きく変貌しようとしている鹿児島大学とどう差別化するのか。民間(私学)とどういう違いを出すのか。はっきり言って,県立短大の存在意義はどこにあるのか」

 単純に4年制になればいいと思っているのか,と問う。4年制にするだけなら,また一つつまらない大学が増えるだけではないか。それなら,県費のムダづかいだ。県立短大にとって大事なのは,教員のつごうで4年制化を追求することではなく,県立短大がいま持っている財産の目録をつくり,他の大学・短大よりも優位の部分,他の大学・短大がもちえない部分を確認し,それを発展させる方向を確定することである。「県立短大の存在意義はどこにあるか」という問いはこれを含意した。

 この問いに対し,委員はこう自答する。

「県立短大に期待されているのは,教育をとおして地域の活性化に貢献することである。そして県立短大はこれまでこの期待に応えてきた。県立短大を卒業した学生は,ちゃんとした教養をそなえ,したがって応用能力があり,しかもきちんとした躾ができている,と評価される。これはなかなか得がたい資質であり,経営者はこういう学生を雇いたがっている。県立短大の就職率が高いのは当然である。とすれば,県立短大がめざすべきは4年制化ではなく,むしろ短大としての充実ということになろう」

 短大としての充実,ということの意味はよく理解できないが,委員が言いたいのは県立短大の教員がやみくもに4年制化を唱えることのむなしさである。少なくとも「外部」の人々にはそうとしか見えないのである。

 さて,このあと委員の発言は思いがけない方向に発展してゆく。

「鹿児島の企業経営者たちは,ものすごく勉強している。これまでは何をどう作ればよいかを模索してきたが,これからは何をどう売るか,ものの売り方,マーケティングが重要になってくる。いや,そうなっている。そこで勉強会を開くわけだが,講師がいない。鹿児島大学で人を得ようとしても,そこにはいない。しかたなく東京あたりから先生を呼んで来てもらったりする。本当は,何でも東京の方をありがたがる,なんてイヤなことなのだが,しかたがない」

 教育の面での地域貢献のみならず,研究面でも貢献できるような大学づくりが期待される,というのである。社会科学系の大学・学部は県内に複数存在するが,組織をあげて地域と学問の連携を「本気で」推進しようとしているところは,県立短大の商経学科以外にない。商経学科の自己点検・自己評価の文書を読んで,この委員はそう判断した。この「地学連携」が実質的に機能しているのであれば,それは立派な「売り」になるといい,さらにこう指摘する。

「経済学科ではなく,商経学科というのがいい。そこで学んだことがらはじっさいの職場活動で活用できると期待させる。じっさいの商売と学問が融合するというのは,かなりユニークな大学といえる。ところが,そういうことが県民には見えてこない。明らかに県立短大のPR不足である。県立短大の目玉は商経学科ではないか」

 商経学科の賛美が続く。

「鹿児島県内の企業家たちが開く勉強会の講師は,できれば商経学科から得たい。中小企業はどうやって売り上げを伸ばすか,セールスマンの質をどう向上させるか,ブランドをどう作り,普及するか,など教えてくれる先生がほしい。鹿児島の経済を活性化する県立短大,商経学科,ここが大事なところである」

 地域の役に立つこと,じっさいの御利益を地元に還元できること,これが経済界の求める新しい大学の役割だ。短絡的ともいえるが,このあけすけなまでの理念の明瞭さは貴重なヒントとなる。なぜなら,国立の鹿児島大学はもちろん,県内のあちこちの私立大学でさえ,従来の「大学の理念」にしばられて,ここまで現世的な御利益提供型の教育機関にはなりきれないだろうからである。学内の一部にはその期待に応えようとする向きがあっても,教員集団全体として,あるいは機関全体として,目線を低くして地学連携に邁進することなどありそうにない。県立短大が,鹿児島県内のみならず,日本全国レベルでもオンリーワンの大学になれそうなポイントはここにある。

 しかしながら,今日,「地域との連携」という言葉だけなら国立の鹿児島大学からも発せられる。鹿児島県の役人がその言葉を鵜呑みにしていることはすでに述べた。したがって,「地域に貢献する県立短大」と連呼しても,それだけで自分のユニークさをアピールできるわけではない。誰が見ても(県の役人も目にも)ユニークさが歴然としているような,そういう姿を追求しなければならない。

 

ユニーク・ポジショニング

 この用語はビジネス本『ユニーク・ポジショニング』(ジャック・トラウトとスチーブ・リプキン共著,島田陽介訳,ダイヤモンド社,2001年)からいただいた。訳者は,通俗的な「差別化」という言葉をあえて「独自化」と訳す。差別化とは,同質化を前提に同業他社と差をつけることを意味するので,差別化の追求は業界あげてのイタチごっこ,堂々巡りに帰着するだけなのだ。それよりは,これも最近よくいわれる「オンリーワン」をめざす方が健康的だろう。オリジナルのタイトル「Differentiate or Die」(=差別化で生き残れ)を「ユニーク・ポジショニング」と訳したのもそういうわけ。

 さて,県立短大が誇る絶対優位の部分(他学がどうしてもマネできない部分)は何か。それは二つある。

 一つは,夜間部の設置。

 もう一つは,6年前から欠かさず実施されている「学生による授業評価」である。

 

1)夜間部の設置

 鹿児島県で唯一の夜間大学がここにある。しかも,50年の伝統を誇る。「第二部商経学科」は,働きながら学びたいと願う県民の希望に応えてきた。「第二部」をそなえるカリキュラムこそが県立ならではの教育サービスのスタイルであり,第二部の存在そのものが県立短大の誇りであると同時に,設置者=鹿児島県の誇りでもある。

 第二部は当然のことながら社会人学生を多くかかえる。それは二つの点でメリットがある。一つは,教員と学生のあいだに双方向的な交流が生まれ,教える者が教えられ,その緊張感が教育の充実につながること。もう一つは,キャンパスがそのまま異業種交流の場となり,教室外でも学生たちは多くを学びとること。

 ところが,近年,鹿児島県全体で高学歴化が進行し,これまで第二部の学生を県立短大に数多く送り込んできた県庁や市役所などからなかなか学生が得られなくなってきた。つまり,どこでも大卒者が増えてきたので,こうした人々に提供すべき高等教育の内容も大きく変化せざるをえない局面が生じた。それはいわゆるリカレント教育,あるいはリフレッシュ教育と呼ばれるものである。

 このように枠組みの大変化を進めなければ,時代の要求に応えられない,と見るべきなのに,鹿児島県はここでも県立短大の軽視という誤った態度をとる。

 鹿児島県は何をしたか。それは放送大学に対する支援を国家の要請と見たのか(国=お上ゆえ国策には従う),県庁跡地など交通の便のよい県施設内に放送大学の学習センターを設けた。有名な先生がたを揃える放送大学,そのきわめて豊富な教科目(カリキュラム)を受講すれば,県民の知的力量は向上すると期待した。

 そして鹿児島県は自らの設置する県立短大の夜間部に対しては何をしたか。夜間部の施設のアメニティ(快適さ)を下落させた。夜間部の学生が集まる空間(大学食堂)の電気代を負担せず,結果として食堂は閉鎖され,そこの冷暖房はもちろん照明さえ享受できぬまま,学生たちは居心地悪いホールの片隅に集うか,もしくは講義終了後はやばやと帰宅する。

 県が本来誇りとすべき県立短大夜間部の環境を,このように劣悪化するのは,夜間部の学生を劣等視する県庁内の高学歴者の傲慢さのあらわれかもしれない。国立の鹿児島大学に期待したり,準国策的な放送大学を厚遇したりするのは,その裏返しだろう。

 しかし,県立短大の夜間部は,つぎの諸点で放送大学を凌駕する。それは教員とのフェイス・ツー・フェイスの交流である。また,たとえ劣悪な空間環境であろうとも,学生どおしがつどい語り合う,その教育効果(いわゆる「隠れたカリキュラム」の効果)は絶大である。また,実学志向,そして到達段階をこまかくチェックしながら進められる教育により,学生は本当に「手応えのある」学びを満喫できる。

 さらに県立短大の夜間部は,鹿児島大学すら十分に見定めていない教育目標を明確化し,追求している。それは知識労働者づくりである。[知識労働者なる概念についてはP・F・ドラッカーの,たとえば『明日を支配するもの』(上田惇生訳,ダイヤモンド社,1999年)などを参照されたい]。頭のなかに生産手段を所有する労働者をつくりだすこと,県立短大の商経学科教員集団はそれを意識的・自覚的に追求している。県立短大の夜間部が「実学」と呼ぶのは,こうした能力(生きる力)の育みをいうのである。

 放送大学は,システムとしてそうした教育が不可能である。鹿児島大学をはじめとする県内の諸大学も,教員集団がこうした「実学」をシステムとして追求してはいない。それは他大学では,教員たちは自らが束ねられることを忌避し,教育者としてより研究者として評価されることを求めて個別の「たこつぼ」にこもりがちだからである。

 県立短期大学の商経学科はその点が違う。自分たちの給料が何に対して支払われているかを知っている。そして,何よりもチームとして教育に取り組んでいることを自覚し,集団作業のなかでの自分の担当分についても自覚している。学生を満足させること,それを通して地域の活性化に貢献すること,学生の笑顔をみずからの教育努力の対価とし,それを生きがいとしている教員集団。こうした集団が存在すること,これはほとんど奇跡的なことなのである。鹿児島県はそこに気づかない。

 しかし,鹿児島県の発展をささえる人材の育成は,まさに県立短大の夜間部をモデルにしなければならないとわかる日がやがて来るだろう。一方,県立短大はそのことに自信をもちつつも,もっと上手に自己PRができるよう,教員自身のスキルを向上させていかねばならない。

 

2)学生による授業評価

 商経学科は,半期ごとの授業評価アンケートを6年前からもう10回以上実施してきた。しかも,特筆すべきはその結果をすべて(学生が自由記述欄に書き込んだことも)インターネット上で公開しているという点である。

 これは何を意味するか。いうまでもなく,商経学科教員集団が教育に絶対の自信をもっていること,そして今後もさらに教育能力を向上させようとしていることである。商経学科は教育が「売り」なのである。

 大学を企業になぞらえるのは問題もあろうが,企業の手法から学べる点は多い。すなわち,マーケティングとイノベーションである。

 マーケティングとは「顧客の要求からスタートすること」である。商経学科は学生の要求から教育活動を組み立てる。もちろん,「顧客」に該当するのは学生ばかりではない。大学の場合,学生は商品でもあり,そう見ると顧客は地域の企業や自治体である。したがって,地域の住民一般が顧客ともいえる。しかし,それでもやはり教育サービスについては,だれよりもまず学生の満足度を第一に考えなければならない。学生が必要とし,求めているものを提供できているか。つまり,学生は満足しているか。それを最重要視しなければならない。

 イノベーションとは「新しい満足を生みだすこと」である。大学も成長し変化する。成長・変化は,大学一般にとって「必須」の要件ではないけれども,公立大学にとっては「重要」なことがらである。「地域経済や地場産業との連携,地域社会からのニーズの吸い上げ」などは公立大学にこそふさわしい役割であるから,時代の変化とともに変化するニーズに応え,あるいは変化を先取りしようとすると,大学それ自体もたえず変化しなければならない。万古不易のもの,「永遠の真理」を追求するのは公立大学の主たる使命たりえない。

 「国立大学は国家目的にもとづいて設置され,国家目的を追求することを使命とする」が,「地域の特性をふまえ,地域に密着した教育研究をするのは,本来,公立大学の任務である」(市川昭午『未来形の大学』,玉川大学出版部,2001年)。商経学科はこの考え方を共有し,アンテナを地域に向け,かつ未来を志向し,自らを「たえず変化する存在」と観念する。商経学科は「鈍感」を恥とし,「よどみの中でのまどろみ」を恐れる。ひたすら敏感でありたいと願う。

 こうして商経学科は「顧客」としての学生を,良質の教育サービスによって満足させたいと願い,満足度を確認する企てを講じてきた。いわゆる顧客満足度の重視という考え方を高等教育の場で実現してきたつもりである。商経学科が授業評価アンケートを実施したのは,学生の満足度を確かめ,教育サービスをさらに充実させる今後の方途を探るためであった。そして,その姿勢の延長線上には大学教育のイノベーションが待っている。

 日本全国,あちこちの大学で「充実した教育」が唱われているし,いくつかの大学では学生に授業評価させてもいるようだ。しかし,授業評価の結果を「組織的・系統的・全面的に公開」しているところは鹿児島県立短大の商経学科を除けば皆無である。商経学科のユニークさはここで輝く。あるいは,輝かせねばならない。

 学生による授業評価を大学経営の中核にすえるのは,公立大学だからこそできることなのである。国立大学はその本来的使命,目的が別のところにあるから,こうした企てを組織的におこなうことができない。つまり,国立大学は「何を教えたいか」を考えることはあっても,「学生は何を学びたがっているか」を考えるところではない。また,私立大学で学生の授業評価を導入しようとすれば,また別の困難があるようだ。

 つまり,学生の授業評価に象徴される「顧客志向」の大学経営は,公立大学でなければなかなかできないことなのである。したがって,公立大学の良さは教育研究が学生のため,地域住民のため,地域文化・経済のために,地域の活性化のためにおこなわれる点にある。逆に,そのような点をそなえなけば公立大学の名に値しない。

 ところが,授業評価の一点に関しては,それを組織的・系統的・全面的におこなっている公立大学は鹿児島県立短大(商経学科)以外にない。それほど「困難」なことなのである。この困難な企てを6年前から持続的におこなっているのが商経学科だ。繰り返して言おう。日本国内でこれほどユニークな存在はないのである。

 

ユニークさの活用

 ユニークであればそのまま「幸せ」になれるわけではない。ユニークな部分の活かし方を考えなければならない。

 夜間部は,社会人教育として充実発展させられるべきだ。鹿児島県内の国立・私立大学が,やろうとしてもできない部分を受け持つ。すなわち,採算がとれない(収益があがらない)ので私学が敬遠する分野の教育を受け持つ。また,国立大学の教員が忌避する夜間教育・休日教育を受け持つ。さらに放送大学にはできない持続的な対面教育を受け持つ。そうした上で,鹿児島の勤労者が求める大学院レベルの追加的教育をも受け持つ。かつ,離島・山間部にサテライト教室が設けられれば,商経学科教員集団はチームを分けて,長期出張教育をおこない,対面教育の利点を住民に享受させる。これらのことから明らかなように,県内の大学はそれぞれに棲み分けるのである。誰もがハッピーになれるのである。

 授業評価についても,もはや単に「やってるだけで偉い」段階は終わった。今後は当然発展がなければならない。まず第一に,いうまでもないことながら,授業の内容がよくなる。これまではフィードバックが不十分で,せいぜい個別の教員が「自覚的」に改善に取り組んできたにすぎないのではないか。

 外部評価委員会でも指摘された。委員である県立高等学校長が発言した。

「自己評価を作文して自己満足におちいってはいけない。高校の場合でも,やはりむずかしいのは教員の意識改革だ。それを克服するには数値目標を掲げて,改革を進めることだろう。目標に対して現在どこまで進んだか,どこがネックか,などが明らかになる。高校の場合でいえば,たとえば不登校をパーセントで示し,その数値の下落を目標とすることから諸課題が明確となり,教員の目つきも変わる」

 これを商経学科にあてはめれば,たとえばパソコンの習熟(メールの送受信,ホームページの作成,ソフトの活用能力に応じた資格取得など)を目標とし,その達成度を数値化して,教育の内容改善につなげる。

 数値目標は,本来的には大学教育になじまないけれども,世間的にはわかりやすく,これを使えば説得力も増すので,先に述べたように地域に生きる公立大学ならむしろよろこんで掲げるべきであろう。他の大学では,教員は自らを「教育者」と思うより「自立した研究者」として意識しており,こうした数値目標の設定は彼らの自尊心を傷つけるから,ほとんど実現困難だろう。したがって,公立大学はそれを掲げるだけでもまたユニークな営みをしたことになる。しかも,高校長の言葉を信じるなら,これが教員の教育者としての力量をさらに向上させるらしい。二重に意義のあることのように思われる。

 これまでの県立短大は自らのユニークさについて,自己PRが不足しているとも外部評価委員会から指摘されたので,その点の克服を含め,大いに改革努力を続けていきたい。

 

世界の大学と結んだ資格取得

 資格取得の点で、鹿児島の他の大学・短大・専門学校にできないことは何か。

 それはMBA(経営学修士)教育である。

 MBA教育とは何か。

 それは、端的に言えば、問題解決のためのスキル(あるいは思考技術)を習得させるものである[参考=飯久保廣嗣『問題解決の思考技術』日経ビジネス文庫、二〇〇一年]。時代や社会システムが変わっても陳腐化しないスキルは、パラダイム・チェンジが進行する環境のなかでも自分を(そして集団を)生き残らせる力につながる。

 これからは鹿児島県においても、こうした「知識労働者」を数多く養成する必要性がある。それは行政サイドも理解している。ただ、どこでどう養成すべきかについては、あらぬ方向に解決を求めてきたと言えよう。繰り返し注意しておく。県は自らが設置した教育機関を軽んじるべきではない。県立短大(商経学科)の語るアイデアに刮目せよ。

 県立短大は、海外(とくに米国)の大学院のMBA教育を鹿児島に導入しようと考えているのである。

 かつて一九八〇年代に、日本のあちこちで、地域振興と絡めて米国の大学の日本分校設立がブームのように展開されたことがあった。ただし、こうした学校はいささか問題があるとされた。つまり、米国の大学でもなく、日本の大学としても認知されなかった。したがって、その卒業生には大学院に進学する資格なし、と文部省は行政指導した。しかし、一部の大学院では、日本分校の学生が英語での教育を受けてきたことを評価して、文部省の施策にも拘わらず入学を許可するところが出てきた。

 このように高等教育でも旧来型の文部行政からの逸脱を可とする動きがある。市場原理に基づくものゆえ当然のことであった。そして、最近ではインターネットなどを利用した海外のMBA教育を受ける(あるいは受けたいと思う)社会人も増えつつある。高等教育の手段は、情報技術の向上に伴い、いままで考えられなかった方向にまで発展している。

 鹿児島県は、この新しい道具立てを活用しなければならない。鹿児島県においても、高質な高等教育を受けることが可能になっているのである。

 県立短大は、MBA教育を提供する海外の有名大学と、新しい資格取得を求める県民との仲立ちをつとめたい。そのさい、対面型・双方向型の授業で学生の満足度を高めるため、県立短大の教員を動員する。

 

遠隔教育

 IT(情報技術)の高等教育への活用については、IT先進国アメリカの事例を紹介・分析したものがある。『カレッジマネジメント』誌(リクルート)に連載されている吉田文(メディア教育開発センター助教授)の論文である。オンライン教育について一時流行した無邪気な期待、手放しの礼賛などはここにない。冷静に現実の問題点を析出しつつ、その上でなお残る積極面もあることを指摘する。われわれのような後発組はここから出発できて幸せだ。

 吉田文の指摘によれば、オンライン教育は必ずしも廉価にはならない。意外にコストがかかり大きな収益にはつながりにくい。それでもより高い学歴(資格)を取得したいと願う成人学生には多大のメリットをもたらすので、自治体は公共政策としてその負担に耐えねばならない。

 また、対面教育と比較してのオンライン教育の問題点・積極面についても、吉田文は数多くの研究事例を紹介している。結論だけ言えばこうだ。

 オンライン教育の方が、概して学生の成績はよい。知識を受け取る力、論理的に説明する力も高い。しかし、学生の満足度は対面教育の方が上だ。周囲とコミュニケーションする力、課題達成の手続きを飲み込む力も対面教育の方が優る。

 これらの教訓をもとに、県立短大が追求するのは両者の結合である。つまり、良いとこ取りである。

 ネット上のみでの授業では、モニター画面上で「双方向的」なやりとりを実現したとしても、学生の満足度には限界があろう。また、そうした授業のみの「バーチャル・ユニバーシティ」なら、鹿児島の離島住民を対象とするしても、ことさら鹿児島県立短大が引き受ける必要もない。県立短大がIT活用の遠隔教育に乗り出すとすれば、それはまさしくリアルな、フェース・ツー・フェースの教育サービスをも合わせたものでなければ意味がない。県立短大だからそれができるのである。

 教員は、プロフェッサーというよりメンターとして、すなわち知識を授ける者ではなく学生を側面支援する者として、チームを組み、ローテーションによって離島・僻地を巡回する。

 県立短大以外の、他のどの大学にこれができるだろう。

 この新しい型の遠隔教育は、離島・僻地に住む成人学生に、確かな資格取得とともに高い学習満足度を与えるであろう。

 鹿児島県ならではの独創的(独自で創造的)な高等教育とはこういうものでなければならない。

 

[2002.03.30]

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