2004年
 つぶやき

10/1
◆曲者
 夜、帰宅して電気をつけると庭に人がいる。
 たまたまカーテンが開いていたので
 ガラス越しにその不審な男の顔も見えた。
 ふつうの身なりをした青年だった。
 あわてるそぶりも見せず自転車で去っていった。
 裏は空き家で、境の板塀は台風で倒壊したため
 わが家の庭はいま Welcome 状態なのだ。
 裏の県公舎に入居者が来れば塀がたつ。
 それまでの辛抱、ってか。

10/2
◆圧力鍋
 安物ながら圧力鍋を買った。
 二日連続で野菜スープをつくる。
 野菜は生協のがおいしいと聞き
 帰宅ルートを遠回りして買いに行く。
 食事づくり方面にやたらエネルギーを費やしているわけだ。
 そんなことをしてる場合か、とも思う。
 9月30日締切の論文(ブルデュー批判)はギブアップ状態。

10/3
◆夜の散歩
 フランス旅行用に買った靴を慣らすために
 夜11時すぎ、近所を徘徊してみた。
 街灯の少ない道をしばらく歩くうちに
 自分の方が「曲者」になっていると気づき
 あわてて大通りに戻る。

10/4
◆ご近所マップ
 家のすぐ近くに市立の玉龍高校がある。
 日曜の昼、散歩ついでに行ってみた。
 市立高校なのに自前のセミナーハウスを備え
 体育館も、うち(県立短大)より立派だ。
 その裏のキリシタン墓地も味わいがあり
 さらに裏山の頂上(高校の球場)からは
 錦江湾と桜島を眼下に一望できる。
 いや〜、自分としては大発見だった。
 また、高校の前に生協の店舗があるのも発見。

10/5
◆カボチャ
 子どものころは嫌いだったカボチャの煮物だが
 このごろは自分で作って食べている。
 ホクホクで、なかなか美味なできあがり。
 しかし、一人で山ほど食べる姿はあさましい。

10/6
◆ルーティン
 夕方、学校の近くの八百屋まで買い物に出る。
 ふだんは歩いて行くのに、自転車で行った。
 買い物の後、歩いて学校にもどる。
 9時すぎ、夜の授業を終えて帰宅しようとするとき
 自転車の置き忘れに気づく。
 半泣きで(半ば諦めつつ)八百屋まで走った。
 自転車はそのまま店先にあった。
 日常の定型的な行動を逸脱すると
 こうした忘れ物をするような人間になった。
 年齢相応かもしれんが、なさけない。

10/7
◆一ふんばり
 日仏社会学の論文集への寄稿をギブアップ、と
 メールで告知したら出版社から返事が来た。
 今月末の入稿ということでいかがでしょうか、という。
 それなら書けなくもない、と思い直す。
 最初「どうせ誰からも期待されていない」論文ゆえ
 気安く引き受け、気軽にギブアップしかけた。
 待っている人がいると心持ちも変わる。

10/8
◆ミスマッチ
 10月開始のゼミのテーマは「不思議発見」。
 日常の風景のなかから「Wonder」を見つけ出そう
 と呼びかけたが、集まった学生の多くは脱力系。
 大半が公務員志望で、安定志向。
 定型の事務作業をこなす職業に就きたいという。
 今日は昨日の続き、という平穏な暮らしを求める。
 ぼくはそれを「小さな夢だ」と毒づくことができない。
 人の精神を「改造」するような教育をためらう。
 だから「おもしろがり屋」ばかり集めたかったんですがね。

10/9
◆官舎
 台風で壊れた土壁は修理したが
 壁のすき間から雨水がもれ落ちる。
 ぬれた畳の縫い目から細いキノコが生える。
 修理業者に再点検をしてもらう。
 結果は「手の施しようがない」というもの。
 老朽化が著しいので、雨漏りは避けがたい。
 県は、裏の空き家もそのまま放置するらしい。
 つまり、入居者を募集せず、家の自然倒壊を待つ。
 もちろん、板塀も建て直したりしない。

10/10
◆無教養
 家の中に生えるキノコといえば「サルマタケ」だ。
 松本零士の名作『男おいどん』に出てくる。
 1970年代の若者には常識、のはずだった。
 ところが、ぼくと同年の同僚はそれを知らない。
 当時でもマンガを読まぬ青年もいたわけだ。
 また、新任の若手教員は「負け犬」という流行語を知らない。
 この二人には「教養がない」と思われるが
 その種の教養はあるから偉いわけでもない。

10/11
◆シャツの災難
 特価品ながら仕立屋でつくったワイシャツを
 部屋干しして一夏放置しておいたら
 えりの前の部分が両方とも赤っぽく変色した。
 仕立屋に「修理」をお願いした。
 昨日「もとどおりになりました」との連絡。
 変色の原因は「かび」だったようだ。
 自転車で取りに行き、手提げ袋に入れて帰る。
 帰る途中、袋を自転車の前輪に巻き込む。
 袋は破け、中のシャツもグシャグシャに……

10/12
◆ラジオ
 終日家にいて、久しぶりにラジオをつける。
 プロ野球の実況放送まで聴いてしまった。
 昔はこうだったな〜、とレトロな気分。

10/13
◆革ジャンの修理
 先月、バンドンで革ジャンを二つ買った。
 工場直売店のほか、街中の革ジャン屋でも買ったのだ。
 観光客でなく地元民が相手の店なので
 とんでもない粗悪品は売ってないはずだった。
 甘かった。
 一部分だが、革の二枚重ねを糸で縫わず
 接着剤でくっつけていた。
 強く引っ張ると剥がれてしまう。
 ぼくは泣きながらDIYへ接着剤を買いに行き
 夜なべ仕事で革をくっつけた。

10/14
◆景品
 近くのガソリンスタンドからハガキが来る。
 そのハガキ+ガソリン15Lで景品がもらえるという。
 景品は電子レンジ用の小ドンブリ。
 うちの車にはまだガソリンが入っている。
 100円たらずの景品だが、心をひかれ
 そのためだけに少し走り回ろうかと思う。

10/15
◆SNCF(フランス国鉄)
 明日の早朝パリにつき、鉄道でナンシーに向かう。
 インターネットで座席を予約しようとしたら
 なぜか日本は「国名」リストに含まれていない。
 韓国や中国はある。
 つまり、日本人の場合、ネット予約は不能のようだ。
 窓口に並ぶしかないが、初日から疲れるのはヤだな。

10/16
◆早朝のフランス
 6時41分発の特急のなかでこれを書いている。
 8時ごろようやく夜が明けつつある。
 成田空港で買ったカロリーメイトと水で朝食。

◆さぶ!
 いや〜、ナンシーは寒い。
 外気の温度は2度だ。
 街を歩いていて,気分が悪くなった。
 しかし、ほかの通行人はぼくより薄着だったりする。
 駅前の安ホテルについたのは10時前で
 予約した部屋が空くのは正午だというから
 観光案内所へ行き、市の美術館に入る。


10/17
◆ナンシーのスーパーモール
 ホテルの裏に大型ショッピングセンターがある。
 バンドンのスーパーモールとそっくりだ。
 人の混雑ぶりもインドネシア並みだった。
 ただ物の値段はなべて10倍以上。

10/18
◆雨のナンシー
 フランスでは日曜日はほとんどの店が閉まる。
 閑散とした道をブラブラ歩いて旧市街へ行く。
 小雨がしとしと降るなかを歩く。
 通行人の半分は傘なんかさしてない。
 これもフランス流といえばフランス流。

◆夕食会
 ちょっと高級なレストランで夕食。
 学会への参加者は全員招待された。
 生ガキを久しぶりに食べたが、さほど美味でもない。
 それでも1人20ユーロ(2800円)ぐらいはしそう。
 夜8時に始まり、散会は11時すぎ。


10/19
◆コローク
 シンポジウムの意で、英語だと Colloquium。
 街中のナンシー第2大学で朝9時半から夕方6時半まで。
 初日にして、すでに疲れる。
 夜7時からは市庁舎で歓迎会。
 シャンパンとスナックだけでお腹がふくれた。
 その後、大半の連中は近くのレストランへ向かう。
 ぼくは人疲れしたのでホテルに帰る。

10/20
◆横飯の疲れ
 コローク2日目は9時〜7時と長かった。
 夜8時から地方料理の店で夕食会。
 腹ぺこだったから最初はがっついた。
 お腹が落ち着くとホテルに帰りたくなる。
 それでも終了は例によって11時すぎ。
 それとなく散会を催促したんだけどな。
 あ、ちなみに「横飯」とは「横文字+飯」の略で
 外国人と会話しながら食事すること。

◆アール・ヌーボー
 20日はフランス側の計らいでナンシー市内観光。
 午前中は雨のなか旧市街を散策。
 昼はレストランに招待され、例の横飯。
 午後は貸切りバスでアール・ヌーボー鑑賞の旅。
 といっても市内各所の建物見学と
 いわゆる「ナンシー派美術館」訪問。
 アール・ヌーボーだらけってのは飽きる。
 小金持ち趣味で深みがない感じ。

◆パリへ
 夕方6時半の特急でパリに行く。
 パリのホテルの通信事情は不明なので
 フランスからの送信はこれで最後かも。

[追記]
 案の定、安宿ゆえインターネット不能。
 以後25日までの記録は帰国後にアップした。


10/21
◆パリの安宿
 昨夜9時すぎ、地下鉄のバルベス駅に降りる。
 アラブ系住民の多い地域のホテルだ。
 スプレーで壁に書きする不良もいたが
 これは、ま、ぼくにはむしろ懐かしい光景。
 宿にはエレベータがなく5階まで歩いて登る。

10/22
◆銀行めぐり
 朝早くオペラ座近くのクレディ・リヨネ銀行に行く。
 かつて1年間暮らしたときに開いた口座を
 13年ぶりに閉じる手続きをした。
 預金の額はたいしたことないが
 鹿児島銀行に振り込まれるのが楽しみだ。

◆テアトル
 せっかくパリに来たのだからと、夜は観劇。
 30席ほどの小劇場で、夜9時からの上演だった。
 新人の作品だが、おもしろくなかった。


10/23
◆パリでのコローク
 EHESS(社会科学高等学院)で開かれた。
 夕方5時半に終り、ヘトヘトになって帰る。
 ホテル近くのレストランでクスクスを食べる。
 フランスでぜひ食べたかったものがこれ。

10/24
◆現代アート
 23日はメトロの1日乗車券で美術館・展覧会を回る。
 1日で4個所も回る根性が貧乏人だね。
 それでも現代美術の膨大な作品群に触れ
 アートって何でもありなんだな、と愉快になる。

◆危険な綱渡り
 パリ最後の夜はサーカスに行った。
 常設の劇場をもつシルク・ディベール[冬のサーカス]だ。
 23日が新プログラムの初日だと新聞で知った。
 結団70周年記念というから歴史は古いが
 演出などはかなり田舎臭い。
 フィナーレ近く、二人の男による綱渡りは高さ12mで
 下にネットも張らずにやっている。
 綱の上での肩車に失敗し、一人が転落した。
 落ちた男はそのままピクリとも動かない。
 団長が「みなさん静かにお帰りください」と頼む。
 子連れの客たちは子どもの目を覆いながら帰る。


10/25
◆帰国しました
 それにしてもフランスは物価が高い。
 シャルル・ドゴール空港で水を買おうとしたら
 500ml で2.5ユーロ(400円)だぜ。
 ほとんどドロボーのような商売をしている。
 硬貨で4ユーロもってたが使わずに帰国。

10/26
◆トルコ映画「路(みち)YOL」の DVD
 空港で買った新聞『ル・モンド』の付録(!)である。
 これで5ユーロ(700円)は安かったな。
 1982年のカンヌ映画祭グランプリ作品だ。
 トルコにおけるクルド人の物語。
 ぼくは84年、ブザンソンでこの映画を観た。
 学生団体の自主上映会だったような気がする。
 DVD を観ながら、最初のフランス暮らしまで思い出す。

10/27
◆野菜の高騰
 いつのまにやら野菜の値段がめちゃ高くなってる。
 しかし、ここは鹿児島。
 地元野菜の直売店に行けばそこそこ安い。
 大根やほうれんそうなどを抱えて帰る。
 その姿を構内で学生に見られたが平気だ。

10/28
◆人生相談
 学生にレポートを提出させると
 その欄外に「相談事」が書かれていたりする。
 しかし、人生相談はぼくの不得意分野。
 若い頃からぼくは不誠実・不人情で知られ
 人から悩みを打ち明けられたことがない。
 自分自身も「人に説教する柄ではない」と思う。
 一方、同僚には「道を説く」のが好きな者がいる。
 人の悩みを聴いてあげたがる者もいる。
 だから学生はそちらの方へ行っていただきたい。

10/29
◆ゼミナール
 ぼく自身は大学のゼミで成長したような気がするが
 教員の立場になると学生を成長させている気がしない。
 また、やる気のない学生を叱りつけられない。
 おもしろいことをしようと呼びかけても
 学生が乗ってこなければ
 それならそれでけっこう、と思ってしまう。
 乗りの悪い学生をおいてけぼりに進めば
 振り返ると誰もついて来ていない。

10/30
◆国際交流
 院生時代、英語もできず頭も悪そうな男がいた。
 いまでは各国の経済学者を集めたシンポの司会者だ。
 通訳なしのシンポを切り盛りする。
 若手研究者を育て交流させるのが彼の仕事の一つ。
 一方、ぼくは「校費でフランスまで遊びに行って……」と
 昨日、同僚から非難がましい言葉を浴びた。
 国際交流は本務ではなく、お遊びとされる。
 これが田舎の短大の知的環境である。

10/31
◆時差ボケ
 睡眠のサイクルがまだ正常化せず、いつも寝坊。
 午前9時前に来るゴミ収集車を逃しつづけ
 生ゴミがかなりたまった。
 なにしろ帰国後は毎日自炊しているもんで。

過去の記事
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1999年
2000年---------10-11-12
2001年---------10-11-12
2002年---------10-11-12
2003年---------10-11-12
2004年--------

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