2004年
 つぶやき

12/1
◆マッサージ
 うちの学校の裏に県立盲学校がある。
 そこの生徒のマッサージ実習のために
 ぼくらはときどき体を貸すよう要請される。
 無料で体をもんでもらって喜ぶ者が多い。
 ぼくは肩など凝らないタイプなので
 身を委ねて陶然としている人がうらやましい。

12/2
◆人生相談
 男子学生が悩んでいた。
 日本を飛び出して何かをしたいのに
 彼女を「捨てる」ような悪人にはなれない。
 この種の「善人」はこれまでも数人見てきた。
 彼らは今おだやかに鹿児島で暮らしている。
 それはそれでうるわしいのだが
 夢を捨てたっていう思いは残っているだろうな。
 しかし、いずれにせよ正解はないし
 ぼくも人に道を説くガラじゃない。

12/3
◆むだ飯
 昼間部のゼミ運営はうまくいかない。
 語りたいものをもたない教員と
 聞きたいものをもたない学生の組み合わせで
 双方にとって不快な時間をともにしている。
 1回くらいはサービスにと、昼食会を開いた。
 しかし、やはり互いに話すことは何もない。

12/4
◆城彰二
 中越地震被災者を励ますチャリティ・サッカーで
 往年のスター選手、城彰二の顔を久しぶりに見た。
 べつにファンだったわけではないが
 懐かしさで、少しウルウルしてしまったよ。
 城の顔は、かつて公共ポスターによく用いられ
 鹿児島県内のあちこちで見られたものだ。

12/5
◆逆 Switch
 WindowsのノートPCを買うべき理由を探してきた。
 2ちゃんねる、その他の掲示板を読んでも
 決定的な理由が見つからない。
 マックではAccess というソフトが使えないとか
 PowerPoint のレイアウトが乱れるとか
 まあ、その程度のことなら Switch の必要性は低い。
 i Book より安価なノートPCもなかなか見当たらず
 それやこれやで当初の意欲は薄れつつある。

12/6
◆存在理由
 鹿児島大学は奄美にサテライト教室を開くなど
 地域へのサービスも何だか本気っぽいぞ。
 われわれ(県立短大)の出番はますますなくなる。
 かつて鹿児島大学がボーっとしている間に
 先回りしてやっておくべきことがらを
 次々とおさえられているような気がする。
 わが組合の執行委員どうしの雑談でも
 県立短大の存在理由がまだあるかどうかが話題に。

12/7
◆左手首のねんざ
 転倒したときはそれほど痛みを感じなかったが
 数時間後、痛くてたまらなくなった。
 自転車で必死に帰宅したものの
 右手だけでは夕食の準備ができない。
 しかたなく調理不要の刺身を買いにスーパーに走る。
 ところが刺身はラップをはがすのに苦労する。
 トレイを口にくわえ、右手ではがした。
 お茶碗も持てず、ご飯をよそうのも食べるのも難儀。
 食器洗いは放棄せざるをえない。
 パソコン入力も片手で。

12/8
◆講演のもよう
 先月末の公開講座でのスナップ写真をもらう。
 壇上でしゃべるぼくの写真6枚をみると
 いずれの場面でもぼくは目をつぶっている。
 あれれ、ぼくはしゃべるとき目をつぶるのか?
 知らなかったよ。

12/9
◆カップ麺
 塩分制限のため、ずっとカップ麺を食べずにきた。
 しかし、夕方の会議が長引いたため
 夜の講義の前に、とうとう戒を破った。
 久しぶりゆえもっと感動するかと思ったが
 全然おいしく感じなかった。
 味覚が変わったのだろうか。

12/10
◆沖永良部島再訪
 港近くの商店街を調査するためだ。
 昼前に着いたので、町の図書館に行く。
 今は廃れた年中行事について調べる。
 まちおこし関係の話題にしようと思ったのだ。
 しかし、あとで商工会の事務局長に聞くと
 60歳代の彼でさえ昔の行事をよく知らない。
 島尾敏雄が「南島エッセイ」に書いているとおりだった。
奄美には文化遺産的なものが全くない……
それは一つのショックです。
と同時に私はその状態に強くひきつけられました……
そのなにもないというところに、奄美のすさまじさのようなものがある……

12/11
◆居酒屋
 これまでも飲み屋に一人で入ったことがない。
 しかし、地元の人から「深い」話が聞けるかもしれないので
 勇を鼓してノレンをくぐる。
 カウンター席に常連客のオヤジ二人がいた。
 硬貨の裏表をあてる「賭け」に誘ってくる。
 とても、ゆっくり話をする雰囲気ではない。
 ビール1本を飲んで、あわてて退散した。

12/12
◆島の人々
 たくさんの人に出会い、なかには不親切な人もいたが
 びっくりするほど親切な人もいた。
 土曜日の役場で日直をしていた青年は
 ぼくが「町内の老人に話を聞きたい」というと
 移動用に自分の車を貸してくれた。
 「返すときはガソリンを入れないで」といい
 「ガソリンをくわない車ですから」と優しい心遣い。
 老人のたまり場だと教えられた場所に行けば
 そこはすでに閉鎖して人影もなかったが
 快晴の島をドライブできて、まことにけっこう。
 青年の名は名越ハルキさん(和泊町総務課)という。

12/13
◆頭痛
 夜、こめかみのあたりが痛い。
 ぼくの頭痛は寝れば直るので、とにかく就寝。
 しかし、明け方、目を覚ますとまだ痛い。
 頭痛薬を飲んで、ふたたび横になる。
 くも膜下出血だったらどうしよう、とか
 不安を覚えつつも、すぐに眠ってしまった。

12/14
◆学者のふり
 昔、小鳩くるみという童謡歌手がいた。
 いまは英文学の先生で、NHK教育に顔を出す。
 そこでの過剰なまでに地味な風体は
 芸能人だった過去を隠すためか。
 また、ニュースで一橋の前学長、石弘光の顔も見る。
 税制調査会の長として大増税の不可避性を説く。
 頭の悪そうだった助教授時代のイメージはそのままだ。
 案の定、「全て」の意で「すべからく」などと言う。
 この二人には何だかニセモノくささが漂う。

12/15
◆記憶喪失
 明け方、布団の中で夢の続きを追う。
 故郷=八女にいる親戚の顔が浮かぶ。
 ところが名前が思い出せない。
 同年のイトコの名前は出てきたが
 その兄や妹の名前が出てこない。
 愕然とした。
 過去の記憶が脳内で少しずつ消去されている。

12/16
◆蒸す
 沖永良部島の銘菓「ゆきみし」は日持ちが悪い。
 冷凍して、食べるときに蒸せばよいと聞いた。
 ところが、その蒸し方がわからない。
 その方面に詳しげな人に電話で尋ねたら
 蒸し器を買いなさい、とつれない。

12/17
◆身の程知らず
 1年生の女子学生が卒業後デパートに就職したいという。
 「デパートで何をしたいの?」と聞くと
 「受付に座りたい」
 「何で?」
 「楽だから」
 「その仕事、ずっと続けられる?」
 「いい齢になったら売り場に行ってもいいです」
 と、彼女は乱ぐい歯を見せて笑う。

12/18
◆街宣車
 指宿で日韓首脳会談が開かれているため
 県外の右翼の街宣車もたくさん走る。
 県外のものは類型的に軍歌を流すだけだ。
 鹿児島の右翼街宣車はちょっと違う。
 われわれがふだん見かける街宣車は
 「鹿児島の市民のみなさん」と語りかけ
 世の不正をあばく、といった内容の話をする。
 声の調子もおだやかで、好感が持てる。

12/19
◆お歳暮
 ぽんかんを恩師に送る。
 ふと思い立っての、一種の気まぐれだ。
 贈り物にメッセージは添えなかった。
 これが先生の不興を買ったようだ。
 ちょっと叱責の混じった返事をいただく。
 何をやっても叱られるのは昔と変わらず。

12/20
◆学科の危機
 夜間部への入学希望者が減ってきた。
 定員割れが現実化しそうだ。
 教員は一丸となって難局に立ち向かうべきだが
 FD(授業改善の研究会)にも
 学科忘年会にも、教員の集まりは悪い。
 それでも、ぼくが学科長のときよりは良い。

12/21
◆夜の訪問者
 夜の9時半すぎ、家のドアを叩く者がいる。
 ドアを開けるべきではない、と予感する。
 「佐川急便です」ともいうが、怪しいもんだ。
 夜間配達を頼むような知り合いはいない。
 しかし、結局、用心しいしいドアを開ける。
 すると「オゼキさんのお宅ですね」だと。
 オゼキさんって誰だ? 隣人か?

12/22
◆夜食
 19時半、夜間授業の前、スーパーの弁当を食べた。
 22時前に帰宅し、うどんを食べた。
 ずっとダイエット気味に生活してきたが
 このごろはかなりゆるんでいる。

12/23
◆発想法
 ブレーンストーミングなどをゼミで試みている。
 夜間部の学生ならおもしろがるはずだった。
 バカなことをしゃべっているうちに
 ひとりでに頭が良くなる方法だからだ。
 ところが、学生たちはなかなか乗ってくれない。
 むだ話では勉強にならないといった雰囲気。
 教員一人がはしゃいでいる形である。

12/24
◆シネマ
 年末の鹿児島市繁華街の雑踏を楽しむ。
 映画館の中はガラガラなのもよい。
 トム・ハンクス主演の「ターミナル」を観る。
 善人物語で心を温めて外に出た。

12/25
◆浮世風呂
 鹿児島市の大黒温泉は古くて小さい銭湯だが
 市内では希少な100%かけ流しの温泉である。
 午前中に行けば入湯料は230円だ。
 ただし,客は近所の農民ばかり。
 つまり,常連客ばかりなので,挨拶がうるさい。
 入るときも出るときも声をかけるのが礼儀らしい。
 その雰囲気を楽しめるかどうかがポイント。

12/26
◆早熟
 昔の知り合い,的場昭弘さんの本を買って読む。
 『マルクスだったらこう考える』(光文社新書)は
 いろんな意味で教えられるところが多い。
 マルクスになりかわって現代を解読する……
 という一種の「いたこ」遊びの企画だが
 著者はけっこう本気でマルクスを代弁する。
 彼は自分にその資格があることを「あとがき」で示す。
 「私はマルクス界における《卓球の愛ちゃん》のような存在だった」
 と,中学時代以来の読書歴で証拠づける。
 見田宗介(元東大教授)の早熟伝説は有名だが
 的場さんはそれを自分で言うんで困っちゃう。

12/27
◆夜回り
 犬をつれて一橋大学の周辺をぶらつく。
 10名ぐらいの老人集団に追い越された。
 火の用心あるいは歳末警戒の一団らしいが
 老人の男女が大声で語り合いながら歩くのみ。
 老人とはいえ女性の笑い声がなまめかしい。
 ジーサンたちも楽しそうである。
 ぼくもそのうち老人会に入ってナンパしたい。

12/28
◆チャンネル権
 幼い娘二人を抱え,離婚のせとぎわにいる女性が
 うちの奥さんのもとに身を寄せている。
 幼子たちが家の中で遊ぶのはいいが
 ぼくが楽しみにしていた DVD 鑑賞ができない。
 子どもらが寝てから,と思えば
 深夜は奥さんが「冬のソナタ」を観るんだと。
 同世代の友人たちと話を合わせるためらしい。

12/29
◆銀シャリ
 鹿児島では玄米ばかり食べているが
 やはり白米の方がおいしいと思う。
 上京して以来,食べ過ぎの日が続く。

12/30
◆大家族
 大学の寮で暮らしている下の息子も帰ってきた。
 夕食時には娘が恋人をつれてきた。
 これにバーサンと例の母子3人も加わって
 小さなコタツのまわりに人があふれる。

◆奥歯のブリッジ
 夕食はビーフシチューにフランスパンだが
 食べている最中にブリッジがとれた。
 しかも,その金属の断片を飲み込んだような気がする。
 年末年始は病院も休みだ。


12/31
◆休日診療
 国立市の休日診療センターで歯を治す。
 奥歯のブリッジは一部が欠けているので
 しっかり接着できないようだ。
 「おもち食べられますか?」と聞くと
 「用心しながら食べてください」の答え。

◆パンク
 餃子を焼くのに大きなフライパンがいる。
 奥さんにいわれてJR西国分寺駅ビルまで買いに行く。
 原チャリで行ったが、どうも変な感じだ。
 後輪がパンクしていた。
 暗い夜道で途方に暮れる。


過去の記事
1998年
1999年
2000年---------10-11-12
2001年---------10-11-12
2002年---------10-11-12
2003年---------10-11-12
2004年---------10-11

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