2005年
 つぶやき

8/1
◆おはら節
 「花は霧島、煙草は国分」という歌詞で知られる。
 元は「原良(はらら)節」に小の字がついて
 おははら節が小原節に縮まったものだという。
 あれれ、原良はぼくが水害前に暮らしていた所だ。
 鹿児島が大空襲で焦土と化す前は色街だったらしい。
 ぼくの学校がある伊敷は昔、四十五連隊の駐屯地だったから
 伊敷―原良の間に遊里があってもおかしくない。
 じっさいおはら節はけっこう色っぽい歌だった。
 3番から以下の歌詞はこうだ。

 雨の降らんのにソンタ川濁る 伊敷原良の化粧の水
 [女性たちが一斉に化粧をおとせば草牟田川=甲突川も白く濁る]
 可愛がられて寝た夜もござる 泣いて明かした夜もござる
 雨の降る夜はおじゃんなと言たに 濡れておじゃればなおむぞか
[=可愛い]


8/2
◆小さなレストラン
 脱サラして開いた店、あるいは主婦が開いた店など
 ちいさな食堂をいくつか訪れてみた。
 いずこも味はイマイチなのが悲しい。

8/3
◆バカモン祭
 地域活性化の鍵をにぎるのは若者・バカ者・よそ者だ。
 ぼくはこのバカ者を育てたいと思う。
 ゼミの学生によびかけてバカな祭を企てさせた。
 学生はけっこう乗ってくれている。
 イラチ体質のぼくからすれば動きは遅いが
 それでも企ては前に向かって進んでいる。
 バカなことを考え、バカみたいに働くのが趣旨。
 祭には「んなバカな」というイベントを揃えたい。

8/4
◆ No Excuse(和製英語?)
 学生時代、馬場啓之助(経済学者)は悪者だと思っていた。
 いわゆる「団交」の場でババケーは大学側を代表し
 学生たちから罵声を浴びるポジションにいた。
 しかし、ババケーは「言い訳をしない」という美学の持ち主だった。
 馬場ゼミにいた知人からそれを聞いて
 ぼくは「美しい!」と感心した。
 自分のやったことについて後でグジグジ弁解などしない。
 ぼくもこの No Excuse で生きなきゃと思った。
 そして今、弁解したいことがらを抱えながら
 ぐっとこらえる、その自分の姿が美しい。(ってか)

8/5
◆ハズレ
 ゼミ生が街中で聞き取り調査をするってんで
 ぼくもその様子をデジカメで写すべく、街へ行く。
 ついでに昼食も街中で、と考えた。
 路地裏にある怪しげな和風料理店に入ると
 注文もしないのに日替わり定食が出た。
 あまりのすばやさに、文句も言わずに食う。
 内容=ざるそば+ご飯で、炭水化物づくし。

8/6
◆組織的活動
 学生たちは祭の企画を説明しに市役所へ行った。
 ぼくは学内で終日会議があり
 ただヤキモキしながら報告を待つ。
 いまのところ学生たちの組織は整っておらず
 とりあえず動ける者が動くという形。
 そろそろ、そういうわけにもいかなくなるだろう。
 しかし、組織づくりや人事が不得手なぼくは
 巧みな介入も指導もできず、黙って見守るのみ。

8/7
◆外食・中食(なかしょく)
 夏休み中は鹿児島を(約1ヶ月)離れるので
 冷蔵庫内の食材を始末している。
 ここ数日、店で食べたり、弁当を買ったりして
 ふたたび塩分の過剰摂取が続いている。

8/8
◆能吏あがり
 地元テレビの討論番組に県知事が出ていた。
 知事以外の出演者はおしなべて凡庸で
 やはり「鹿児島に人なし」の説は正しいようだ。
 伊藤知事のみ、少し異なる光を放つ。
 もともと能吏であった出自そのままに
 問題の勘どころを瞬時につかまえてみせる。
 加えて、大局を眺めるバランス感覚と
 それを直言できる胆力は、ちょっとすてきだ。
 問題は、彼が「愚民」を相手にしているという意識を
 隠しきれず、ほのかにうかがわせてしまうこと。

8/9
◆リムジンバス
 うちの学校の前に鹿児島空港行のバス停がある。
 9日、上京しようとバス停で待てどバスは来ない。
 時刻表をみたら、いつのまにか大幅に改訂されていた。
 30分間隔が1時間おきになっている。(便数半減)
 新幹線開通により、バスもJR駅前が中心となり
 コースも変わったわけだが、なんとなく腑に落ちない。

8/10
◆熱帯夜
 上京して、夜、久しぶりに犬の散歩。
 しかし、外は蒸し暑く、風も吹かぬ。
 帰宅して、奥さんとビール1缶を半分ずつ飲む。
 奥さんはその物足りない感じがお好みのようだ。
 家の中にもぬる〜い幸せ感が漂う。

8/11
◆新宿コマ劇場
 ミュージカル「We Will Rock You」を観に行った。
 客は40代、50代のオッサン・オバサンが中心だ。
 料金1万数千円でもリピーターが多いみたい。
 たしかにパワフルなロックを2時間半も浴びれば
 心はすっかり1970年代化して、元気になる。
 管理職風のオヤジや小太りのオバサンたちが
 全員立ち上がり、体を揺さぶっている。
 自由の賛美と画一化への反逆がテーマなのに
 会場全体をつつむ、怪しいまでの一体感。
 しかも、それにちょっと感動しているぼく。

8/12
◆渋谷 Bunkamura
 映画「ラヴェンダーの咲く庭で」を観に行った。
 高齢女性の恋愛感情を描いた作品との評判で
 館内はバアサンたちであふれる。
 午前中から夕方まで毎回満席状態だという。
 さすがに東京の映画館は違うなと感心した。
 ロビーではパリのタウン情報紙「オヴニー」がもらえる。
 渋谷の街を歩けば、そこの景色もほとんど外国だ。

8/13
◆料理の腕
 料理教室で覚えた技を家族に披露する。
 煮干しの頭とハラワタをとってダシを作り
 なかなかすてきな味噌汁ができた。
 主菜は、ナスとピーマンと豆腐の炒め煮。
 トマトやグリーンアスパラのサラダを添える。
 みな黙々と食べ、ほめ言葉も出ず。

8/14
◆老骨
 汗でぬれたTシャツを脱ぎ、体を拭いていると
 娘がそれを見て「貧弱〜」という。
 たしかに、娘が幼いころプールで遊んであげた父親は
 胸にも肉があり、多少たくましく見えたかもしれん。
 それが今じゃすっかり老いさらばえて。

8/15
◆睡眠力
 朝10時過ぎに起きたら「よく寝るわね〜」と言われた。
 いやいや、昔はこんなもんじゃなかった。
 中学・高校生のころは、母親があきれるほど眠った。
 「そげん寝とるとまぶたが目玉にひっついて
  離れんごとなるばい」
 若さとは眠る力、どれだけでも眠れる。
 大学生時代もよく寝たけど
 あのときは半分栄養失調のせいだったな。

8/16
◆長野の温泉
 奥さんが永年勤続の記念にもらった旅行券で
 信州方面へ遊びに行こうという話になる。
 ぼくにとって信州といえば沓掛温泉だ。
 大学1年の冬、同郷の友人(早大生)にさそわれて
 この秘湯の旅館でアルバイトをした。
 しかし、今はもう旅館の名前も覚えていない。
 覚えているのは食事がひどく貧しかったことだけ。
 われわれ従業員は毎食一汁一菜。
 しかも、その一菜とは刻んだ生ネギに醤油をかけたもの。
 お客に出すお膳は、まあ普通の内容でしたけどね。

8/17
◆縄文人
 上野の国立科学博物館に行きたい。
 「縄文 vs. 弥生 ガチンコ対決」という特別展の
 ちょっと下品なタイトルもさることながら
 ポスターにうつる縄文人の服装に惹かれた。
 赤と黒は隼人族(まつらはぬ民)が好む色である。
 反逆者の故郷、鹿児島で新しい祭を企てるなら
 スタッフにはこういう服を着させたい。
 [→右の画像をクリックすると少し大きくなる]

8/18
◆末路
 ヤマトに逆らう隼人族は、720年、最終決戦に敗れた。
 生き残りは都へ連れて行かれ、帝の警護兵となる。
 特有の War Cry も「隼人の犬吠」と呼ばれる見せ物と化す。
 右図の「隼人の楯」は奈良で発掘されたものだが
 武具でなく、井戸穴の内壁に使われていた。
 こうした軽んじられ方は現在のわれわれと重なる。
 中央権力にしばしば過剰同調し
 地方人の誇りを失っても、恥じることがない。

8/19
◆レシピ
 日々の食事作りでレパートリーも底をついた。
 ネットで「夏野菜+レシピ」を検索し、献立を決める。
 味がさほど悪くないのは実力がついたせいか。

8/20
◆温泉めぐり
 JR上田駅前で車を借り、あちこちの温泉を巡る。
 ほとんど視察旅行の趣である。
 3個所で外湯に入ったが、料金150円は安い。
 また、温泉街が温泉街らしいのもよい。
 鹿児島では、白っぽい大型ホテルが主体だが
 信州では古い建物が多く、気持ちを和ませる。
 しかし、店員の愛想の悪さは長野も鹿児島と同様だった。

8/21
◆菅平(すがだいら)
 冬はスキー場、夏はラグビーの合宿地として有名だ。
 ラグビーのグラウンドが 95面もあるという。
 大通りには練習試合の組み合わせ表が出される。
 周辺の店は、いい体格の若者であふれる。
 しかも韓国語さえ聞こえてくる。
 う〜む、鹿児島もスポーツ観光で客を呼びたい。
 錦江湾をヨット競技のメッカに、と語る人もいたが
 その人は知事選挙に破れて消えた。
 菅平の繁盛ぶりを見ると、彼の説も捨てたもんじゃない。

8/22
◆老人会
 高校の同窓会が開かれたというメールが届く。
 同期生のページに写真を載せた、とある。
 見てみると、全員ジーサン面だ。
 て〜ことは、ぼくも客観的にはそう見えるのか。
 愕然とした。

8/23
◆8万アクセス
 約半年(あるいは約200日)で1万、と一定している。
 読んでいるのは固定層(身内)ばかり、なんて油断は禁物。
 思いがけぬところから「読んでますよ」と声がかかる。

8/24
◆IT道楽
 ADLSから光ファイバーへの流れに乗り
 我が家のネット環境も少し向上させたい。
 無線LAN用の AirMac も買い換えよう。
 これでプリンターも無線で動かせる。
 と、けっこうなお金をかけて得られるのは
 ほんのわずかな改善にすぎないんですけどね。

8/25
◆映画の文法
 侯孝賢(台湾)の作品をたてつづけに観ている。
 絵がきれいなのはわかるが、どうも退屈だ。
 映画の「通」はこぞってほめているのだから
 ぼくの鑑賞能力の底が浅いってことだろう。
 齢を重ねれば多少は深まるはずだったのに
 いまだに「解説」を必要とするレベル。

8/26
◆放置
 うちのバーサンは老衰の度がかなり進んだ。
 介助なしでは起床はもちろん歩行もできない。
 ところが、三日に一日は生き返る。
 目を離していると、一人でイスから立ち上がり
 ヨロヨロ歩いていたりする。
 あるいは、床に倒れていたりする。
 元気な日は、また危険な動きをするので
 倒れていたら、そのまま放置しておく方が安全だ。

8/27
◆手狭
 一人暮らしをしている息子がフラフラ帰ってきた。
 久しぶりに家族5人がそろう。
 それはいいが、寝る場所に困る。
 家にはバーサンのほか、別の母子3人がいる。
 狭い家に9人だ。
 東南アジア的貧困家庭の様相。

8/28
◆ポリフォニー
 DVDで映画「月曜日に乾杯」"Lundi Matin" を観る。
 酒場でロシア人たちが歌うシーンがある。
 オヤジたちがハモる音の深さにしびれた。
 市井の民がさりげなく重唱を楽しむ。
 そういえば「仕事の歌」ちゅう民謡があったな。
 「イギリス人は利口だから 水や火などを使う
  ロシア人は歌をうたい 自ら慰める」

8/29
◆ビックカメラ
 立川店は売り場の構成を一変させていた。
 1階は全体がパソコンのフロアになり
 アップルのコーナーもけっこう広い。
  i Pod 成功のおかげだろう。
 ぼくも昔ほどではないが、マックの繁盛を喜ぶ。

8/30
◆バーサンの入院
 バーサンが熱を出したので病院に連れて行く。
 肺炎だった。
 2週間から1ヶ月ほど入院が必要と診断される。

8/31
◆100円寿司
 大阪資本の「くら寿司」立川店に行く。
 期間限定オール百円の広告を新聞で見たからだ。
 夏休みの最後、奥さんとのお食事会である。
 奥さんは南欧料理を食べたかったようだが
 ぼくの主張にあっさり屈した。
 ここは夫を立てて、っていう形ですね。

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