| つぶやき |
| ◆どこへ行く? やがては鹿児島を離れるかもしれん。 ひきとめる人もいないし。 んで,どうする,って考えたときに歌が浮かぶ。 昔のクレイジーキャッツの歌。 どこ行くったって |
| ◆無教養 まわりは木々の緑でいっぱいだ。 一本の木を見上げて俳人のような気持ちになるが その木の名前を知らないから気分どまり。 ぼくの場合は花についても同様だ。 ふだんから「花」とか「木」など、普通名詞で済ませている。 |
| ◆お荷物 蔵書の多さを愛でる価値観はたしかに古い。 人生は身軽に楽しむべし。 本は読んだらすぐに捨てるべし。 え? 「用無しは消えろ」ってこと? |
| ◆早稲田松竹 高田馬場の映画館に行く。 いまどき二本立てってのが珍しい。 高田馬場はミャンマー料理店が多いが 今回はネパール・カレーで腹ごしらえ。 おかわり自由のナンがやたらおいしいので困っちゃう。 |
| ◆サリエリ状態 ぼくも自分がバカだとわかってる程度には賢い。 バカを自覚しないバカってのが困る。 先生を名乗る連中に多い、という説は正しい。 |
| ◆毒舌 あんたの話はおもしろくないんだよ,と 思いっきり言ってやりたい。 年をとれば不遜でなく自由に言えるはずだったが 意外にも,内側からブレーキがかかるようになった。 |
| ◆思想史のゼミ 学部時代の先生を囲む会の案内が来た。 先生には会いたいが、囲む会にはたぶん行かない。 ぼくの先輩も後輩もあちこちの有名企業に就職したから 本当はそういう人々からおもしろい話も聞けるはずだ。 社会思想を学んだことが人生にどう活かされているか そこらへんの話が聞けるのであれば行きたい。 でも、前に一度参加したことがあるけど フツーのおっさんの集まりにすぎなかった。 |
| ◆安楽 INPUT(読書)はするが OUTPUT(論文作成)はしない。 最近では許されない研究スタイルだが 昔はむしろ「くだらん論文は書くな」と諭された。 論文をやたら書かないのが学者の美学だった。 ぼくは INPUT は足りなくても OUTPUT しない点だけ学者のマネをしてきた。 |
| ◆羽田空港にて 滑舌がよく、声の通りもよい人がいる。 こちらはその逆なので,授業で苦労している。 しかし、発声のよい人が携帯で話してると 無意味な会話が丸聞こえで、はた迷惑もいいところ。 |
| ◆ 108 地域のメーリングリストでのやりとり。 集まりの人数を問う質問にたいして 「煩悩超えの 109人です」と答えたのは若い女性だ。 何だか教養がある感じで,ちょっと好きになる。 |
| ◆お笑いぐさ 初めて鹿児島に赴任するとき先生方から忠告された。 地方文化人になってはいけない,というのだ。 地方の大学教員には夕刊の随筆連載とか FM放送での対談とか,何かの審査委員とかの話が来る。 それに乗れば,自分でもすぐに「その気」になっちゃう。 そういうふうに「堕落」しないように気をつけろ。 といわれて身構えてたが,何の話も来ぬまま幾星霜。 |
| ◆是認のまなざし ぼくの話をおもしろがってくれる人がいなくなった。 かつては 何人か いたものだ。 いまは、ほとんど誰からも相手されない。 おもしろくもないって顔をされるのは辛いから なるべく人と会わないような生活に変えた。 |
| ◆孫引き 自分の本棚の奥で見つけた未読の本を読む。 ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』(講談社学術文庫,88年) その中で引用されてた言葉に打たれた。 みずからすすんでやることはすべて意味があるヒトラーの言葉だそうだが,さすがだね。 |
| ◆学内行事今昔 集まって何かやるってことがなくなった。 校庭でのお花見,労組の旅行(上海やソウル) 学科をあげての合宿,生協主催の夏祭り。 インドネシアとの交流も去年が最後だった。 こういうのを余計な負担と感ずる教員が増えた。 ぼくはどれもさんざん楽しんだので 思い残すこともなく,痛痒も感じない。 |
| ◆右肩の痛み 変なヒネリ方をしたときだけ痛い。 じっとしてるぶんには平気だ。 調べても五十肩とかじゃなさそうだし とりあえずあまり根拠なく神経痛と自己診断。 |
| ◆的場昭弘さん ちょっと調べものがあって県立図書館へ行く。 通りすがりに思想コーナーで的場さんの本を見つける。 『マルクスに誘われて』(2006,亜紀書房)は的場さんの自叙伝であった。 一箇所だけだけど,ぼくの名前も出てくる。 共通の知り合いの名前もたくさん出てくる。 いわゆる楽屋話が満載だから楽しく読んだ。 |
| ◆シャレード Charade 50年近く前のアメリカ映画だ。 初めてのデートのとき,久留米の映画館で観た。 すんごく久しぶりに観たら(NHK-BS) なんだかけっこう細かいところまで覚えている。 一方,デートについては映画に行ったことしか覚えてない。 |
| ◆ガスコンロ 2口のうち片方が点火しない。 火花が飛ばないのである。 器具を取り外して中を見れば なぜか圧電素子のコードが外れていた。 コードを穴に差し込むのに少々苦労しつつ修理完了。 ほめてくれる人は誰もいないが、少し誇らしい。 |
| ◆村上龍 新刊の『歌うクジラ』(上下)を図書館から借りたが 読みづらくて、上巻の途中でギブアップ。 未来の日本で反乱軍の日本語は助詞が乱れている。 小説のそういう装置は読んでいて不快だ。 (この小説は外国語に翻訳するのも辛かろう) この装置は話の後半で効いてくるのかもしれないが そこまで辛抱する元気もなく、このまま返却します。 |
| ◆チャイム 玄関の音が鳴っても出ない。 昔は署名活動とかで家々を回ったりしたとき ドアを開けない家を呪ったもんですけどね。 |
| ◆ virility 肩こりの悩みを公言している 50代女性に近づく。 二人で食事をしたこともある「仲」なので 肩の痛みについて軽く相談するつもりだった。 肩を差し出して「これ肩こりですか?」と尋ねた。 女性は「やだ〜,触りたくない」という顔をする。 人目もあろうに殿方に触るとは、という顔つき。 弱ったな〜,何か「意識」されちゃったか? |
| ◆台無し 夕方の楽しみにデパ地下をうろつく。 明太子のコーナーで,つい一切れ買ってしまう。 減塩に心がけていても,この一切れでパーだ。 |
| ◆「幸せの経済学」 経済・文化のグローバル化の弊害を訴える映画だ。 環境保護を主張する人々の集会で上映された。 うちの近くだったので,ぼくもふらふら参加した。 映画も主張も、つっこみどころ満載なのだが 主観的善人の集まりなので口をつぐむ。 ローカリゼーションという主張も陳腐だなあ。 どうせなら呉智英のように「封建主義」まで走るといいのに。 |
| ◆変な咳 久しぶりに会った友人から指摘された。 前にも別の人から同様の指摘を受けたことがある。 (人間ドックとかでは特に指摘されなかったんですがね) いま、ネットで調べると「咳喘息」というのが当てはまる。 存外ありふれた病気らしく,少し安心する。 |
| ◆白け このごろはタウン誌を買うこともなくなった。 ラーメンとかランチの情報はどうでもよくなった。 田舎の温泉とかに出かけることもない。 総じて鹿児島への「思い」が薄れたのだ。 かといって興味が他に向かったわけでもない。 |
| ◆ i 8 u(I hate you) あ、ぼくの経験にはないことだけど 愛が深いと憎しみに変わることもある。(演歌だね) 相手への依存(未練)を憎しみの力で断ち切るわけ。 ぼくの鹿児島愛憎もこれに近いのかしら。 |
| ◆ i 8 u 2(I hate you, too) 正直な話,人を憎んだことがない。 手ひどい仕打ちを受けた経験がないせいでもあろうが そもそも、そういう持続的なエネルギーがない。 「あいつは我々の敵だ」と指弾の対象を挙げられても なんだか本気になれない。 それを自分の欠陥だと思ったときもある。 |
| ◆ L F 8 R(elevator) エレベータ付きの住宅に住むのは人生2度目である。 最初は 四半世紀前,フランスの地方都市でHLMに住んだとき。 HLMは低家賃住宅(Habitation a Loyer Modere)のことで 都市郊外の高層住宅群を指し,貧民窟ともいえる。 じっさい,ご近所さんはアフリカ系・アジア系の移民ばかりだった。 HLMは「アッシュ・エル・エム」と読むが 当時の流行歌に「le hasch, elle aime」とのダジャレがあった。 そこに住む女はハシッシュが大好き,という意味である。 |
| ◆ S M T( It's empty ) 清水哲男という文筆家,名前は知ってるが顔は知らない。 彼はほぼ月刊で個人新聞を出している。 その『新聞テンマチ』は鹿児島の繁華街・天文館の批判である。 15年前に来たヨソモノらしい脱鹿児島的な構成である。 自腹で千部刷って、知り合いの喫茶店などに置いている。 でも,たぶん商店主たちの心には響かないだろうな。 天文館に空き店舗が増えても平気という話。 ほかに繁華街があれば市民は別に困らないと叩く。 「天文館徒然草」という彼のブログの方はやや穏便。 |
| ◆『幻滅――メディア戦記』 バルザックの小説である。 お散歩のついでに立ち寄った県立図書館で借りる。 19世紀の印刷事情がわかっておもしろい。 訳者・野崎歓は『赤と黒』の誤訳で糾弾されているが 読ませる訳文をつくる技術はなかなかだと思うな。 |
| ◆講釈 学生に発言を促しながら,自分でしゃべっている。 しかも,偉そうに長々としゃべっている。 最悪の教師パターンである。 ふと気づくと,恥ずかしくてたまらない。 気づかずにいられたら幸福そのものなのにね。 |