2011年
 つぶやき

5/1
◆どこへ行く?
 やがては鹿児島を離れるかもしれん。
 ひきとめる人もいないし。
 んで,どうする,って考えたときに歌が浮かぶ。
 昔のクレイジーキャッツの歌。
どこ行くったって
どこ行きゃいいんだ
こうなりゃ昔めんどうみた
平手の御酒(みき)んとこでも行くか
いいたかねえけど めんどうみたよ

5/2
◆無教養
 まわりは木々の緑でいっぱいだ。
 一本の木を見上げて俳人のような気持ちになるが
 その木の名前を知らないから気分どまり。
 ぼくの場合は花についても同様だ。
 ふだんから「花」とか「木」など、普通名詞で済ませている。

5/3
◆お荷物
 蔵書の多さを愛でる価値観はたしかに古い。
 人生は身軽に楽しむべし。
 本は読んだらすぐに捨てるべし。
 え? 「用無しは消えろ」ってこと?

5/4
◆早稲田松竹
 高田馬場の映画館に行く。
 いまどき二本立てってのが珍しい。
 高田馬場はミャンマー料理店が多いが
 今回はネパール・カレーで腹ごしらえ。
 おかわり自由のナンがやたらおいしいので困っちゃう。

5/5
◆サリエリ状態
 ぼくも自分がバカだとわかってる程度には賢い。
 バカを自覚しないバカってのが困る。
 先生を名乗る連中に多い、という説は正しい。

5/6
◆毒舌
 あんたの話はおもしろくないんだよ,と
 思いっきり言ってやりたい。
 年をとれば不遜でなく自由に言えるはずだったが
 意外にも,内側からブレーキがかかるようになった。

5/7
◆思想史のゼミ
 学部時代の先生を囲む会の案内が来た。
 先生には会いたいが、囲む会にはたぶん行かない。
 ぼくの先輩も後輩もあちこちの有名企業に就職したから
 本当はそういう人々からおもしろい話も聞けるはずだ。
 社会思想を学んだことが人生にどう活かされているか
 そこらへんの話が聞けるのであれば行きたい。
 でも、前に一度参加したことがあるけど
 フツーのおっさんの集まりにすぎなかった。

5/8
◆安楽
 INPUT(読書)はするが OUTPUT(論文作成)はしない。
 最近では許されない研究スタイルだが
 昔はむしろ「くだらん論文は書くな」と諭された。
 論文をやたら書かないのが学者の美学だった。
 ぼくは INPUT は足りなくても
 OUTPUT しない点だけ学者のマネをしてきた。

5/9
◆羽田空港にて
 滑舌がよく、声の通りもよい人がいる。
 こちらはその逆なので,授業で苦労している。
 しかし、発声のよい人が携帯で話してると
 無意味な会話が丸聞こえで、はた迷惑もいいところ。

5/10
◆ 108
 地域のメーリングリストでのやりとり。
 集まりの人数を問う質問にたいして
 「煩悩超えの 109人です」と答えたのは若い女性だ。
 何だか教養がある感じで,ちょっと好きになる。

5/11
◆お笑いぐさ
 初めて鹿児島に赴任するとき先生方から忠告された。
 地方文化人になってはいけない,というのだ。
 地方の大学教員には夕刊の随筆連載とか
 FM放送での対談とか,何かの審査委員とかの話が来る。
 それに乗れば,自分でもすぐに「その気」になっちゃう。
 そういうふうに「堕落」しないように気をつけろ。
 といわれて身構えてたが,何の話も来ぬまま幾星霜。

5/12
◆是認のまなざし
 ぼくの話をおもしろがってくれる人がいなくなった。
 かつては 何人か いたものだ。
 いまは、ほとんど誰からも相手されない。
 おもしろくもないって顔をされるのは辛いから
 なるべく人と会わないような生活に変えた。

5/13
◆孫引き
 自分の本棚の奥で見つけた未読の本を読む。
 ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』(講談社学術文庫,88年)
 その中で引用されてた言葉に打たれた。
みずからすすんでやることはすべて意味がある
犯罪だっていいのだ
その反対に、受け身の態度はすべて無意味だ
 ヒトラーの言葉だそうだが,さすがだね。

5/14
◆学内行事今昔
 集まって何かやるってことがなくなった。
 校庭でのお花見,労組の旅行(上海やソウル)
 学科をあげての合宿,生協主催の夏祭り。
 インドネシアとの交流も去年が最後だった。
 こういうのを余計な負担と感ずる教員が増えた。
 ぼくはどれもさんざん楽しんだので
 思い残すこともなく,痛痒も感じない。

5/15
◆右肩の痛み
 変なヒネリ方をしたときだけ痛い。
 じっとしてるぶんには平気だ。
 調べても五十肩とかじゃなさそうだし
 とりあえずあまり根拠なく神経痛と自己診断。

5/16
◆的場昭弘さん
 ちょっと調べものがあって県立図書館へ行く。
 通りすがりに思想コーナーで的場さんの本を見つける。
 『マルクスに誘われて』(2006,亜紀書房)は的場さんの自叙伝であった。
 一箇所だけだけど,ぼくの名前も出てくる。
 共通の知り合いの名前もたくさん出てくる。
 いわゆる楽屋話が満載だから楽しく読んだ。

5/17
◆シャレード Charade
 50年近く前のアメリカ映画だ。
 初めてのデートのとき,久留米の映画館で観た。
 すんごく久しぶりに観たら(NHK-BS)
 なんだかけっこう細かいところまで覚えている。
 一方,デートについては映画に行ったことしか覚えてない。

5/18
◆ガスコンロ
 2口のうち片方が点火しない。
 火花が飛ばないのである。
 器具を取り外して中を見れば
 なぜか圧電素子のコードが外れていた。
 コードを穴に差し込むのに少々苦労しつつ修理完了。
 ほめてくれる人は誰もいないが、少し誇らしい。

5/19
◆村上龍
 新刊の『歌うクジラ』(上下)を図書館から借りたが
 読みづらくて、上巻の途中でギブアップ。
 未来の日本で反乱軍の日本語は助詞が乱れている。
 小説のそういう装置は読んでいて不快だ。
 (この小説は外国語に翻訳するのも辛かろう)
 この装置は話の後半で効いてくるのかもしれないが
 そこまで辛抱する元気もなく、このまま返却します。

5/20
◆チャイム
 玄関の音が鳴っても出ない。
 昔は署名活動とかで家々を回ったりしたとき
 ドアを開けない家を呪ったもんですけどね。

5/21
◆ virility
 肩こりの悩みを公言している 50代女性に近づく。
 二人で食事をしたこともある「仲」なので
 肩の痛みについて軽く相談するつもりだった。
 肩を差し出して「これ肩こりですか?」と尋ねた。
 女性は「やだ〜,触りたくない」という顔をする。
 人目もあろうに殿方に触るとは、という顔つき。
 弱ったな〜,何か「意識」されちゃったか?

5/22
◆台無し
 夕方の楽しみにデパ地下をうろつく。
 明太子のコーナーで,つい一切れ買ってしまう。
 減塩に心がけていても,この一切れでパーだ。

5/23
◆「幸せの経済学」
 経済・文化のグローバル化の弊害を訴える映画だ。
 環境保護を主張する人々の集会で上映された。
 うちの近くだったので,ぼくもふらふら参加した。
 映画も主張も、つっこみどころ満載なのだが
 主観的善人の集まりなので口をつぐむ。
 ローカリゼーションという主張も陳腐だなあ。
 どうせなら呉智英のように「封建主義」まで走るといいのに。

5/24
◆変な咳
 久しぶりに会った友人から指摘された。
 前にも別の人から同様の指摘を受けたことがある。
 (人間ドックとかでは特に指摘されなかったんですがね)
 いま、ネットで調べると「咳喘息」というのが当てはまる。
 存外ありふれた病気らしく,少し安心する。

5/25
◆白け
 このごろはタウン誌を買うこともなくなった。
 ラーメンとかランチの情報はどうでもよくなった。
 田舎の温泉とかに出かけることもない。
 総じて鹿児島への「思い」が薄れたのだ。
 かといって興味が他に向かったわけでもない。

5/26
◆ i 8 u(I hate you)
 あ、ぼくの経験にはないことだけど
 愛が深いと憎しみに変わることもある。(演歌だね)
 相手への依存(未練)を憎しみの力で断ち切るわけ。
 ぼくの鹿児島愛憎もこれに近いのかしら。

5/27
◆ i 8 u 2(I hate you, too)
 正直な話,人を憎んだことがない。
 手ひどい仕打ちを受けた経験がないせいでもあろうが
 そもそも、そういう持続的なエネルギーがない。
 「あいつは我々の敵だ」と指弾の対象を挙げられても
 なんだか本気になれない。
 それを自分の欠陥だと思ったときもある。

5/28
◆ L F 8 R(elevator)
 エレベータ付きの住宅に住むのは人生2度目である。
 最初は 四半世紀前,フランスの地方都市でHLMに住んだとき。
 HLMは低家賃住宅(Habitation a Loyer Modere)のことで
 都市郊外の高層住宅群を指し,貧民窟ともいえる。
 じっさい,ご近所さんはアフリカ系・アジア系の移民ばかりだった。
 HLMは「アッシュ・エル・エム」と読むが
 当時の流行歌に「le hasch, elle aime」とのダジャレがあった。
 そこに住む女はハシッシュが大好き,という意味である。

5/29
◆ S M T( It's empty )
 清水哲男という文筆家,名前は知ってるが顔は知らない。
 彼はほぼ月刊で個人新聞を出している。
 その『新聞テンマチ』は鹿児島の繁華街・天文館の批判である。
 15年前に来たヨソモノらしい脱鹿児島的な構成である。
 自腹で千部刷って、知り合いの喫茶店などに置いている。
 でも,たぶん商店主たちの心には響かないだろうな。
 天文館に空き店舗が増えても平気という話。
 ほかに繁華街があれば市民は別に困らないと叩く。
 「天文館徒然草」という彼のブログの方はやや穏便。

5/30
◆『幻滅――メディア戦記』
 バルザックの小説である。
 お散歩のついでに立ち寄った県立図書館で借りる。
 19世紀の印刷事情がわかっておもしろい。
 訳者・野崎歓は『赤と黒』の誤訳で糾弾されているが
 読ませる訳文をつくる技術はなかなかだと思うな。

5/31
◆講釈
 学生に発言を促しながら,自分でしゃべっている。
 しかも,偉そうに長々としゃべっている。
 最悪の教師パターンである。
 ふと気づくと,恥ずかしくてたまらない。
 気づかずにいられたら幸福そのものなのにね。

過去の記事
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2011年---

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