鹿児島県商工会連合会への協力

東市来町・瀬戸内町を歩いて
感想と期待

2002年2月17日

 鹿児島県立短期大学の商経学科学生とともに,東市来町および瀬戸内町において地域住民へのヒアリング調査をおこなった(東市来町=2001年7月11日,瀬戸内町=8月6日)。以下では,それぞれの町内を歩き回っての感想と,それぞれの地域への期待(のようなもの)を述べたい。

 

【東市来町】

 東市来町,とりわけ国道3号線の南側地区の活性化については,新聞等で報道されたように,池満渉氏を委員長とする「新湯之元まちづくり研究会」がすでにすてきなビジョンをまとめている。「水路や老舗、神社などいまある素材を生かして情報・休憩・いやし・学びの拠点をつくり、回遊性を高めよう」というのである。

 東市来町商工会もこのコンセプトにそって「まちづくり」を展開しようとしていた。その具体化の第一歩として位置づけられた「こけけ湯あがり館」は,われわれが調査をおこなった時点ではまだオープン準備中だった。

 この施設は「地域住民や来街者が気軽に利用できる休憩・研修・展示・発表・即売・交流の場を提供することにより,高齢者の生きがいづくりに貢献するとともにイベントの実施等により,商店街の活性化を図ることを目的とする」と唱う。一言でいえば,コミュニケーションの誘発によって地域を活性化する戦略であろう。

 これは全国のあちこちで成功している戦略であるから,方向性としてはまったく正しいと思われる。東市来町商工会の方々はよく勉強していらっしゃると感心した。

 有名な成功例は,東京都巣鴨の「とげぬき地蔵商店街」である。高齢化が進む今,都会はもちろん,じつは田舎においてすら高齢者はますます孤独になっている。家庭も,血縁関係のある人々が単に同居しているだけの空間になっている。コミュニティ(共同体)が希薄化し,コミュニケーション(人と人の双方向の交流)がなかなか成立しにくくなっている。したがって,とげぬき地蔵商店街にみられるように,高齢者が「心の通いあい」を(たとえ幻覚であっても)感じとれる環境づくり,雰囲気づくりをすれば,人々は寄ってくるのである。

 私は学生とともに,東市来町を歩き回って,この町にはなるほど「水路や老舗」その他の財産があり,加えて「懐かしさ」を上手に演出すれば,商店街の活性化はかなり成功するのではなかろうかと予感した。

 しかし,町内の高齢者への聞き取り調査をしているうちに,ちょっとした違和感を覚えるようになった。

 それは湯之元が温泉の街であること。

 多くの町民がそのことに言及するのに,東市来町商工会のシルバータウン構想は温泉を柱にしていないことに気づいた。しかし,それにはそれなりの背景もあるらしいことも聞き取りのなかで知った。東市来町商工会は温泉というテーマをダイレクトに扱うことができないらしい。地域の活性化のために,この町一番の切り札を使うことができないのは大きなハンディに他ならない。

 問題はそればかりではなかった。この町は「もとからの住民」と「後から移ってきた住民」がいまだに疎遠な心理的距離を保っているようだ。短時間の聞き取りなので,その原因などを知ることはできなかったが,「コミュニケーションの誘発による地域活性化」はその点でも大事なテーマであることは理解できた。

 かなり多くの町民が地元商店街を「自分たちの商店街」とは感じていなかった。ひょっとすると,商店主たち自身もそうした町民たちに対し「距離感」を覚えつつ商売しているのかもしれない。

 聞き取り調査で各戸をまわりながら,妙に「都会的な」よそよそしさを覚えたのも確かである。しかし,東市来町にとってこれは逆にチャンスである。よそよそしさ,クールな人間関係を良しとした時代は終わりつつあり,濃厚なかかわりあいの「暖かさ」を懐かしく求める流れが生まれつつある。東市来町もこの流れのなかにあるはずだ。じっさい,聞き取り調査で出会った人々は,あるいは行政に対し,あるいはまた商店街に対し,あれこれの不満を語ってくれた。それは聞いてくれる人がいてうれしいという気分を伴ってもいた。不満は聞き届けられるという手応えを喜んでいた。つまり,コミュニケーションの欲求は高まっているようであった。

 さて,その解決の方策であるが,ここでは一人の高齢者が語ってくれたアイデアを紹介したい。私は町内の事情に詳しくないので,このアイデアにどれほどの実現可能性があるかどうかわからないが,少なくとも町外者にとっては理解しやすい話であった。

 それは当然「温泉」にかかわる。

 一つの温泉源を町が買い戻し,地域住民も温泉客も利用できる「外湯」をつくるというアイデア。聞き取り調査のときはよく理解できなかったが,その後ある本(松田忠徳『温泉教授の温泉ゼミナール』光文社新書,2001年12月刊)を読んで,なるほどと悟得した。温泉の原点は,各旅館の内湯ではなく,共同の外湯である。この外湯の存在が温泉町の文化を育てる。温泉旅館経営者たちがそのことに気づき,町をあげて文化づくりに取り組めば,かならず地域も活性化する,という。注目すべきは,こうした外湯が地域住民のコミュニケーションの場にもなるという点である。

 東市来町商工会は「湯あがり館」を企てたが,その命名のしかたにも同種の期待が込められている。たしかに,当面は温泉そのものとは一線を画して(つまり,その点はいちおう棚上げにして)地域活性化のプランをひねらねばならない。大変な苦労であろう。しかし,まちづくりに積極的に取り組み,シンポジウムその他の企画をつぎつぎに成功させてきた東市来町商工会の努力は,その方向性の正しさゆえ,かならず行政を動かし,旅館業界を動かして,大きな成果をもたらすであろう。

 

【瀬戸内町】

 奄美大島の南端の町,瀬戸内町に赴いて,まず感心したのは商業地としてのロケーションの良さである。端的にいえば,大型量販店の脅威が少ないことである。郊外に大型店舗を設けるだけの空き地がない。地域住民は「しかたなく」地元商店で買い物をするしかない。加計呂麻島(対岸の島)からも買い物客が来る。したがって,商店街はそれほど商いに工夫をする必要もなさそうであった。

 地域での聞き取り調査で,「ここの商店は殿様商売」「愛想が悪いのは当たり前」「接客態度,サービスも良くない」「名瀬市の商店ではお客様扱いされて気持ちがよいので,買い物はあちらでする」などの声を聞いたから,私が最初にいだいた印象もあながち的はずれではなかったわけだ。

 瀬戸内町の商工会の方々は,今後名瀬市への道路事情が良くなれば客を奪われるだろう,との危機感をお持ちであった。しかし,地域住民もそれを痛感し,同時に危機的状況のおかげで一般の商店主が「目覚める」ことを期待している。住民たちから話を聞きながら,私にはそのように思われた。

 一方,そうした顧客重視はごく最近の流行にすぎず,旧来のままの尊大で横柄なスタイルこそが地域の「商業文化」なのだ,という考えも成り立つ。グローバルスタンダードとか,日本の標準的スタイルを持ち込むのではなく,地域の個性をそのまま残すことの方が大事かもしれない。商店主の「愛想のなさ」が瀬戸内町の「個性」なのかどうか,本当はよくわからないけれども,当面はそれで商売が成り立っているのだから,ことさら問題にしなくてもよい,危機が到来したときに考えればそれでよい……のかもしれない。つまり,将来予測はたいてい外れるから,危機の予測だって怪しいものなのだ。

 このように,ほとんど退廃的な考えを私に抱かせるほど,瀬戸内町は穏やかな町であった。

 「この町は死んだ町だ。日曜日には商店も閉まる」と,不満をもらす高齢者もいたが,それは消費者の立場からの声。逆の立場でいえば,これでも商売が成り立つのだから良い町である。土地の値段が高いのも,その現れだ。そして,地価の高さが外部からの新規参入を難しくし,これによっても商店街の「平穏」は守られている。フェリーの本数が少ないので,町中に滞留する人が多いのも,商店街にとってはありがたい。町外から来た観光客などは食事をするところが少ないことに不満を覚えたりするが,商店街は観光客などを相手にしなくてもやってゆけるのだから,別に問題はないとも言える。

 こうした商店街のあり方は,ある意味ではきわめて興味深い。ふつうの商店街は街の賑わいを求め,お客たちが自分の店でもっとムダ使いをしてくれることを願う。お客に「もっと買え,もっと買え」と促す。ところが,瀬戸内町の商店街にはそうした空気がない。買いたくなければ買わなくてもよい,よそに行きたければよそに行け,という雰囲気だ。

 私が思うに,ひょっとすると,これは「新しい商店街のあり方」を先取りしているものかもしれない。通俗的に解釈すれば,今の瀬戸内町の商店主たちの「横柄さ」は大きな間違いのように見えるが,買いたいものがないのに買わせようとする昨今の風潮の方が間違っているのかもしれない。ものを積極的に売ろうとしない商店,それでいて商売が成り立っている商店,これは古いようで実に斬新な商業スタイルである。

 商売繁盛を求めず,拡大や成長を夢見ず,もみ手や卑屈な追従笑いといった俗っぽい商人像から離反する。最近の流行語でいえば,環境にやさしいサステナブル(持続可能な)経済活動の,ひとつの模範をここに見る。

 変化など欲しくない。今のままで十分。これが瀬戸内町の商店街の「哲学」だとすれば,不満をいう住民・消費者の方こそ教育されねばならない。新しいものを求めるな,穏やかな時間の流れを慈しみ,そのなかで自分の内面を豊かに育てよ。こういうメッセージを発する商店街が,はたして瀬戸内町の他に存在するだろうか。

 と,ほとんど現実離れした感想を私に抱かせるような町であった。

 もちろん,現実に戻って,瀬戸内町については外部者からも言いたいことがある。しかし,それは観光にまつわる提言であったり,島唄など伝統文化があまり露出していないことへの不満であるから,シルバータウン構想と関係ない方向に話がズレることになる。仮にまた,そちらの方向で話を進めても,その種の議論はすでに百出しているはずだから,まったくのムダ話になりかねない。

 そこで最後に,重ねて暴論に近い持論を述べたい。

 それは瀬戸内町における地域内コミュニケーションの活性化についてである。とりわけシルバータウン構想が唱う高齢者の消費生活の充実は,それぞれの高齢者が単なる「お客様」以上の大事な存在として扱われるようにすることにある。家庭生活のなかですら希薄化しがちな人間関係を商店街のなかで取り戻せるようにすれば,高齢者の購買活動はもっぱら「人的なつながり」によって規定される。すなわち,値段の高い安い,品揃えの豊富さ貧弱さなどは,ほとんど副次的な要素にすぎず,背景に退く。シルバータウン構想は,けっして高齢者に「もっともっと消費せよ」を促すものではなく,高齢者が消費生活をつうじて「この町で生きててよかった」と実感させることをめざす。したがって,「どのように大事にするか」を考えてゆかねばならないが,この道は同時に商店街の活性化につながるはずだから,けっして迂遠でも方向違いでもないのである。

 瀬戸内町は奄美大島の南端にあって,ほとんど閉鎖的かつ自立的な商業活動が展開されているから,もともと住民間の交流もそれに比例して密接だろうと思われた。現実には必ずしもそうではないかもしれないが,地理的・空間的条件と,また高齢者自身の交流欲求とを合わせるならば,地域内のコミュニケーションの活性化はここなら比較的容易に実現可能である。

 唐突ながら(議論をはしょって言えば),ITの活用が国などからも奨励されているうちに,つまり,まもなく熱は冷めそうなので援助が得られる今のうちに,インターネットを地域内コミュニケーションの活性化に利用したい。残念ながら,瀬戸内町商工会はそのホームページからも明らかなように,この方向性についてあまり積極的ではないけれども,高齢者もパソコンにそれほど距離感を感じなくなれば,インターネットを補助的な手段とする住民交流の新しいあり方が,ここ瀬戸内町から始まるだろう。瀬戸内町の町役場のホームページは一時期かなり元気だったが,最近はだんだん迫力がなくなっている。そのページでも「意見交流」欄を復活するなど,あちこちで地域内コミュニケーションを励ます動きがあればよいのに,と思う。

 変化を求めない,遠くを見ない,という哲学をもちながら,新しい技術を利用して楽しいまちづくりをする。もしも瀬戸内町商工会がこういう姿勢をとるのであれば,それは世界的にもきわめてユニークであるばかりでなく,意外にも時代を先取りした活動だと後に評価されるかもしれない。