現代社会論レポート(97.6.10)抜粋

 テーマ:ジェンダー(文化的性差)

性差別について学生に考えてもらうため,教員(斉藤)は「オヤジの典型的思考」を紹介し,それに対する学生の反発を期待した。ところが,以下にごらんのとおり,学生たちの大半はこのオヤジ的考えに賛同している。
説得力のある立派な講義だったと自賛すべきか。


 “男女平等”というのすごく聞こえがいい。事実,“女の子だからねェ”とか差別されたりすると,超ムカつきます。
 でも,一方で“女の子”とお高くとめておかれるのもけっこう「おいしい」思いができて,女の子でよかった。と思うことも多いです。だから,私は今の日本の社会状況に文句はありません。女性は働きたければ働けるし,そうでなければそうしなくてもいい。
 そう考えると,男の人はかわいそうですね。男の人だからって特別な保護はないし,働かなかったら変な目で見られるから。

 現在よく「男女平等についての問題」が出てくる。しかし,深く考えてみると,女性の平等に対する意識はかなり薄いように思われる。私自身あまり「差別」みたいなことを考えたことがない。
 「女性=文化の享受者」という話には納得した。私の父と母を見ていても,母はどこそこ出かけているが,父は平日は仕事,休みは寝るといった感じだ。母はかなりいろんな文化を楽しんで,自分の趣味を広げ,自分の枠みたいなものを作り上げている。それに対し,仕事ばかりの父は退職後どうなるか……不安な感じである。絶対「濡れ落葉」になってほしくない。「退職したら女の勝利!」というのは,そうかもしれないと思った。
 男女が平等になるのはいいことばかりではない。
 女性は男性と平等に扱われることを求めるが,女性という立場を利用して残業することを避けたり,あまり責任のある仕事を持とうとしたりしない。家庭に入ったら入ったで,社会における自己の存在を強めたいと願望し,仕事をしたいと言い出す。男性のようにバリバリ働いていると,家庭に入った方が楽だし,そろそろ辞めようかな,などと男性にない逃げ道のようなものがある。女性は男性に比べて気楽なのかもしれない。
 男女平等という言葉はあるが,本質的には男も女もそんなに強く求めていないし,そうなることを望んでいるようには思えない。かえって男性の方が平等を求めたいのではないかと思った。
 私の彼は国家公務員。ハタチにもならずに月給25万という高給取りである。これはぜひつかまえておかなければという下心がある。結婚したら遊んで暮らさせてやるから嫁に来いと彼も言う。
 女はこの世で唯一子孫を残せる性である。私たちがいなかったら世は成り立たないのだ。だから女性はいばってよいと思う。そりゃ男の人もいなければ子孫は残せないけど,極端な話,男一人に女百人でも確実に子孫は増えるだろう。
 私は女権論者ではないのだけれども,女の子のしたたかさで賢いところはとても好きだ。男がバカだということではなくて,私の彼もそうだけど,現実から逃げる回数は女より多い気がする。
 男女平等という名のもとで,女は家庭にいるようにしむけられている。仕事が男女平等になると,女性では続けられない。だから家庭におさまってしまうのだ。出生率の低い現代に,女性に子どもを産み育てさせるための政策なのだ。
 今は「女性は家庭に縛りつけられている」というイメージが大きく,私たちはなんだかそれを不満に思いがちですが,ゆくゆく先のことを考えてみると,本当に犠牲になっているのは女性だけなのだろうかとも思いました。
 やはり自分の時間を持つというのは大切なことのように思います。日本の男性は働き過ぎで,あまり自分の時間というものを持てていない。だから年をとり,仕事が終わってしまうと,空しさも大きいと思います。長い目で見てみると,本当に犠牲になっているのはどちらなのかと考えさせられました。
 私は自分が女であるからということで差別されたと感じたことはないような気がするし,自分のまわりでもあまりというか,ほとんど聞いたことがない。
 最近,女も男と同等の目で見られるようになってきているのかもしれないけど,やっぱり男の人の心の中にも,私の中にもなんだか男性優位の考えがある気がする。自分が本当にそう思っているのか,なぜそう思うのかは分かっていそうで実際はよく分からないのだけれど。
 私はどちらかというと今までの女性保護のもとでそれにちゃっかり甘えている方だと思う。好んで女に生まれてきたわけではないが,それでも女に生まれてよかった。得したな。と思うことがよくある。損したと思うこともあるが,それでもやはり女でよかった。具体例を出せといわれれば困ってしまうが……。
 私は古い考えの人間なのかもしれない。男性と同じようにバリバリ働くキャリアウーマンに憧れないことはないが,やはり早く結婚して子どももたくさん欲しくて,専業主婦になりたい。短大だし,「可愛いおバカさん」目指し一直線?でもいいと思う。今のところは。
 同じだけ働いているように見えて,現在の社会では女性は保護される立場である。育児休暇などや残業など,好待遇である。だから,まだまだ男女は平等ではなく,家庭の面で自分と同じものを夫に求めるのは求め過ぎになるのではないだろうか。
 女性は「女性」と「母性」の二つを内に持っている。どちらに重点をおこうが,それは個人の自由であるが,両方を兼ね備えるのは無理に近い。キャリアとして会社で働きたいなら,男並みの仕事をせねばならない。男性は家庭を帰る暇もないほどに仕事をしなければ成功しない。女性にも同じことを要求すると,日本の子どもはいなくなる。
 少子化問題から「男女平等にすると女性は仕事をやめざるをえない」ということは,たしかに良い案である。
 家庭の女性は「可愛いおバカさん」のふりをしながら,文化の享受者として,世間に出て成功している。なんて幸せなのだろうか。反対に,男性は「陽気なロボット」として働かされ,役不足になれば交代させられ,捨てられる。なんて惨めな人生だろう。自分は家庭を養っていると,がんばって働いてみても,けっきょく何が残るというのだろう。仕事という世界しか持たないのは後でバカを見そうだ。
 平等,平等と言われているが,しょせん平等など実現できないのだ。それはそれでいいのではないかと思う。
 なにも自分から進んで苦労して,疲れる仕事などすることないのだ。夫が元気で働き,私はただ家の中で好きなことをし,退屈を感じたら友達とテニスをしたり,映画を見たり,洋服を買いに行ったり,楽しい生活を送ればよいのだ。
 じっさい自分の家庭をふりかえると,父が少しかわいそうになる。父には何か楽しみがあるのだろうか。もし父の楽しみが“子どもの成長”だったりしたら,ますますかわいそう。男の人が立場は上だと考えられている社会ではあるが,じっさいのところ女の人が幸せな社会ではないだろうか。
 女権主義と母権主義。私は両方の考えをもっている。仕事をするときは精一杯したいし,子どもができたら育児にも専念したい。今の世代の大半の女性はそう思っていると思う。仕事だけに生きがいがあるわけではない。育児にだって生きがいはあると思う。
 働き始めて,どんな差別を受けるか分からないが,たいていのことは聞き流せばいいことだと思う。くやしいとか許せないとか,古い考えをもつオヤジのために苦しむのはバカらしい。
 男と女をただ生産性を上げるための道具と見なす考えが今の社会にはあるように思う。資本家がもうけるために,男を低い賃金と長い労働時間で働かせるだけ働かせる。女は結婚や出産でいったん仕事を辞めてもらい,再就職後は低い賃金で働かす。「職場の労働条件は悪いから家にいたほうがいいよ」という思想を植えつける。男も女もともに現代社会の犠牲者ではないだろうか。
 女が奥様となることはすばらしいことだ。働かずに,ただひたすら消費をすればよいのだから。しかも,社会から保護されるのだ。また,女は文化の享受者である。
 一方,男性には同情的になってしまった。ただ働くことが自己実現だなんてかわいそうだ。一生懸命働いて,退職後は「濡れ落葉」「産業廃棄物」呼ばわりされる。定年離婚の原因にこの問題も絡んでいるのではないか。
 私は今日ほど女に生まれてよかったと思った日はない。
 私も実は県短が4年制大学だったらいいのになぁと思っている。しかし,今日の講義で,鹿児島県の「こだわり」を見つけたような気がした。
 2年で卒業して働いて,24,25才までには結婚するというのもいいなと思った。短大の4年制化が進んでいる中で,短大のままというのは貴重なことかもしれない。そして,今は晩婚が多いと言われているが,そのうち女は短大で早く結婚するのが幸せだというような考え方の世の中になっていくような気がした。