テーマ:アナーキズムの魅力
|
バクーニンに寄り添いながら,第二部の学生に反権威主義の話をしました。 |
|
反○○主義という言葉を聞くと,私は少し暴力団が入ったような人たちが真っ黒の大型の車にスピーカーをつけて大声で何か訴えている姿を今まで想像していました。しかし,今日,反○○主義というのは意外と身近なところで慕われていると思いました。 世の中には職場の課長のような小さい権威から,警察や国家など大きい権威もある。課長に逆らうののは簡単だが,警察に逆らうのはかなり厳しい。でも,間違っているなら逆らうべきで,不法な交通取り締まりなどは訴えてやらんといかん。 難しいことであっても,「正義は勝つ」はずだから,これからもジャンジャン文句を言って,困らせようと思った。 規制のない社会では,自由はその存在価値を失ってしまうのではないだろうか。規制があるから自由がある。自由がなければ規制も不要。表裏一体のものである。 世間一般の意見は多数派と少数派に分けられます。ですが,多数派の意見がすべてにおいて正しいかというと,そうでもないと私は思います。 たとえば兵庫県でおきた小学生殺害事件ですが,加害者[と思われる]少年が全面的に悪いのでしょうか。その少年だけを極悪な犯罪者という目で見る多くの人たちは正しいのでしょうか。たしかに殺人は大変悪いことですが,この少年は加害者であっても同時に被害者でもあるのではないでしょうか。この少年もある意味では学校教育の犠牲者だと思います。少年がそういう状況まで追い込まれた原因をもっと探るべきです。 今日初めてアナーキーの意味を知った。言葉は知っていたが,意味は知らなかった。たしかに国とかいろんな機関が口をだしてくるのは楽でいいが,アナーキズムのように自由なのも,それはそれで自我に目覚めておもしろそうだと思う。 私は職場で自由に思うことを言いたい。とくに苦情の電話をかけてくるメチャクチャでわがままな奴らにビシッと当人の誤りを教えてやりたい。が,言えば上司にチクられて,逆に自分が怒られてしまうので言えない。一度でいいから,思いっきり自分の意見が言える自由がほしいです。 私はRockが好きなので,社会思想とかに興味があります。ロックにはまってる人はものすごくて,考え方も平凡でなく,自分ってものを持ってる人が多いです。私はまだまだ浅いのでダメですが,表現ってゆうのはサーチ&デストロイって聞いたときは驚きでした。でも,その人が言っていたのでなく昔の人が言っていることだったようです。 破壊するって悪いことのようですが,私はロックンロールに対してそうゆう気持ちを求めていたし,それを感じる音楽には同等の優しさを感じます。ああゆう音楽をやっている人たちってゆうのは,ごく普通に生きてる人たちから見ると変かも知れないけど,自分との闘いって点ではものすごい熱を感じます。イカレてるけどカッコいい。ダサい方がカッコいいです。簡単に言えば,つなぎの服きて,汗水たらして働いてる人の方がとてもカッコいいです。 世の中の人はみんな変なのに,自分はまともだとか,ものすごく自信のある観念的な言葉をはく人は信じられません。君は本当の自分の顔を知っているのですかと聞きたいくらいです。表面だけで判断することはとても浅はかだと思う。理由があったら,それをちゃんと言わなきゃいけないのに,言う場所もないし,誰も聞かないし,そんなものは関係ない世の中になってるのがどこか嫌だよなぁと思うのでした。 私は変でもいいけど,せめて誰か一人は似たような人に会いたいなぁ。頼りないヨレヨレの私ですが,これもしょうがないことです。自分の幸福を祈りたいと思います。 自由な国とされている現在の日本でも,人々は見えない考えに支配されている。その点では北朝鮮や昔の日本と何ら変わりはない。今の北朝鮮の人々なんかは国家破たんのギリギリのところで生活していると考えられがちですが,北朝鮮の人からするとぼくたちの国も,何の考えも持たない自分勝手な国に見えるのではないか。 一つの考え方に影響されるのは多数主義にそまっているということで,自分の考えと思ってたこともじつは多数派と同じだったなんてことになると,高度な自治からはかけ離れていくのではないかと思います。 自由を主張する人に,本当に自治能力があるのだろうか。本当に相互扶助ができるのでしょうか。ぼくは疑問に思います。 相互扶助の気持ちがあるならば人間関係はかなり楽なものになるように思えます。 アルバイト先で,従業員Aはよっぽどでないかぎり手伝ってくれません。30cm手を出してくれれば,皿を割らなかったのに……。 お互いに助け合う心を持って生まれているのならば,現在のような世の中ではなかったと思います。 今の状況は悪いと思っても逆らう人がいないのは,そのシステムを壊した後どうするかを考えついていないからだと思う。もし考えついたなら,その人に変えてほしい。 アナーキズムは限りなく個人を尊重する考え方だと思いました。しかし,アナーキズムの考え方では国家や団体レベルの統制を保つことはむずかしい。議会主義の究極である「多数決」のようなものがあるからこそ世の中がうまく回っていると思う。アナーキズムをおさえるために法律などがあるし,規則などがあるからこそ統制のとれた社会が維持できると思う。 国民の半分以上が政治に興味を示さない。無関心である。これは政治家が国民を裏切った結果,政治不信を植えつけたのだと思う。 それでも誰一人として国に対して反対意見を言うわけでもない。私もその一人なのです。不満はいっぱいあります。ほんとうは手を挙げて意見を言いたい。世の中というより,この日本が滅亡に向かっているように感じます。でも,一回は地に落ちて死滅しないとこの日本はだめかもしれないと,このごろ考えます。自分は何をすればいいのだろう? 人間はそれぞれ自治能力をもっているのに,上手に使えていない。それが“どれい”状態に結びついているのはとても悲しいことです。 自分は本当はこうしたいけど,そうできないということがすごく多い。例えば,女の人は結婚して子どもを産むということがあるが,それが当たり前なのかどうか。本当は自分の意志で決めるものなのに,世の中はそうは認めていない。 「奴隷の幸せ」とかバカにするが,本人がそれなりに幸せならそれでいいと思う。一言「余計なお世話」と言い返せばよい。 さて,バクーニンの思想だが,私は彼の思想におおむね賛成する。民主主義とか言っても,しょせんは多数決の原理,小学校の学級会と何ら変わることがない。ただ意見を出すだけだ。てっていして意見をたたかわせることがない。 議会主義と言っても,選挙のときを除けば,あとは議員の勝手し放題。だから私はバクーニンの思想におおむね賛成することができる。 |