テーマ:全体主義の麗しさ
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講義の狙いは,カール・シュミットを紹介しながら,ナチズム,ファシズムの「良さ」を見直そうというもの。全体主義が私たちにとって身近で,親しみのある思想であることをしみじみと確かめてみたかった。以下は第一部(昼間)の学生の感想文の抜粋。 |
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私の今までの(この講義を受ける前までの)考えは,独裁政治大反対,ヒトラー最低!,政治のことなんて他人事,といったものだった。しかし,これを書く頃には,自分だって全体主義にはまってるじゃん!と認識させられてしまった。 全体主義が今の民主主義と比べて良いと思ったところは,ここぞという時にやってくれるところだ。民主主義の議会においては,長くいろいろと話し合いをやっている割にあまりたいしたことはやってくれないし,決まっても実行するまでにまた時間がかかったり,そして何より大事な時に動くのが遅いというのが問題である。 今の日本の民主主義というものが全体主義の良いところを採り入れて,ますます良いものに変わっていくことが大切なことではないかと思うのである。 国会で出された結論は私たち国民全体の意志として受け入れなければならない。結局,全体主義でも議会制民主主義でも,何か結論が出たらそれを受け入れるしかないのである。こうなると,議会制民主主義は効率が悪く,平時にしか機能しないのに対し,全体主義は独裁者がすばやく鋭く的確な判断と実行力をもって効率的にまとまりのある社会を作ることができて,良いと思った。 大地震や重油流出事故のような例外状態のときは全体主義がいいと思う。誰か一人偉い人がいて,その人の決断がすべてということであれば,後から出てくる問題についてゴチャゴチャと無駄な話し合いはしないでいいのだから。 けれど,北朝鮮を見ると全体主義には魅力を感じない。使い方しだいで全体主義は美しさと醜さ,そのどちらにもなるものだと思った。 全体主義のなかで人々は生きていく価値を探すことができ,手応えのある生き方ができる。独裁者は国家のなかで民族を奮い立たせ,資本主義の遅れた部分を取り戻し,民族の誇りを回復させる調和のとれたものになれば,それが真の全体主義の美しさだと感じられた。 私としては全体主義が美しいとは思えません。 けど,人間の中には全体主義の思考が必ず入っているような気もします。今の世の中は一部を除いて平和な世の中だから,周りを気にして生きている人が多いし,大きなまとまりを求める人もたくさんいるでしょう。なんだか汚職が目立つ世の中だから,ヒトラーほどではないけれど,悪影響をおよぼさない独裁者は必要かもしれません。そんな人が出てきたら世の中どうなるか,見てみたい気がします。 議会制は私はいいと思う。いろんな意見とか出て,みんなが納得のいくまで話し合えると思うから。一方的に決めつけられたものを「はい,そうですか」とは認めたくない。 法案がスムーズに通過するということは独裁主義と同じことになる。 小学校のころ,朝の会で「廊下は走らない」と一日の目標を決めると,廊下を走っている同じクラスの子を目撃すると,「あー,○○君が走ってる」と先生に言いつけてしまうような嫌な子供であったけど,今では“全体主義とは”というテーマでレポートを書けるようになった私は,けっこう成長したのかなぁ。 たとえば,いきなりアメリカが攻めてきたり,ミサイルが飛んできたという場合,今の日本のような制度では絶対に間に合わない。こういうときこそ一人のリーダー的存在の人がすばやく決断を下して,その問題を解決できたらどんなにいいだろう。 しかし,今の日本にそういう制度を取り入れる方がいいかどうか,私は疑問だ。なぜなら,日本国民みんながこの人なら絶対に日本を委ねても大丈夫だと安心できる人が,どこにいるだろうか。たぶん今の日本にはいないはずだ。 私はこの考え方にはあまり同調できない。私たちが生きている意味を民族のためとされると納得いかない。民族に固執することがまず嫌だし,民族のなかで,そのために生きてゆくことは肯定できないと思った。 私はどちらかというと共産主義の方に魅力を感じる。 戦争中の“お国”への愛着は,すごく美しい考え方だと私は思う。“お国”のために命を投げ出す。こんなにも自分の国を愛する心があるのは,私はすごくうらやましくも思う。 現在では深刻なほど若者の政治離れが問題となっています。若者は自分たちの国だという意識が低く,自分たちで国をどうにかしようということに興味をもたなくなってきています。ただ何となく日本に生まれたから日本で生きているといったような考え方の人も多いと思います。このことから言えるように,現代の日本の社会では全体主義や民族の魂を守るといった考え方はあまり発達していないような気もします。周りのことにあまり関心をもたないというのは,民主主義という,ある程度個人個人が自由な発想を許されている社会での悲しい現状なのかもしれません。 初期のヒトラーでもよい。私も一度は独裁政権の素敵な側面を見てみたい。たとえ自由を失いそうになっても,きっと大丈夫だと思う。なぜなら私たちはもうその力に勝ちうる力を備えているからだ。あくまでも相手は初期のヒトラーに限るが。 行進だって,乱れて歩くよりそろっていた方が美しい。全体を乱さないとか,列にそってとか,これは幼稚園や小学校から学んできたものが,もう当たり前のように体にしみついてしまって,自然にそうしようと無意識のうちに体が反応する。 わが家では昔から食事の前に,朝なら朝,夜なら夜のあいさつをしてから「いただきます」を言う。それは小さいときからのものなので,何も考えず口をついて出てくる。こんな細かいところから全体主義を守っているのは何となくいいなと思う。 |