私が主人公

第二部の「社会思想」講義(99年5月6日)のテーマは、ジョン・ロック。
講義中に学生に書かせたレポートの一部を紹介する。 
まずは、きびしい批判から。

 


授業前半の内容については特に感銘は受けなかった。なぜなら、話が無駄でも内容が豊かなら素晴らしいが、語彙の足りなさから何を言いたいのか理解しかねるため、無駄が目立つ。しかし、「共に考えていく」という姿勢はすばらしいと思う。後半は引きつけられていた。
 私は世の中の真理というものをすべて知りたいと思っていた反面、いくら知ろうとしても人間の悟りきれないところがあるのだとも思っていた。私は無神論者だが、神に委ねずに様々の事象を証明するのはむずかしい。そして、あせりもあった。せっかく二晩半狂乱になりながら寝ずに考え、出した答えも二分で消えてしまうこともあった。
 しかし、「それでもいい」「間違ってもいい」と言われたとき、許されたような気分になった。デカルトであったかどうか、不勉強なため忘れてしまったが、疑うことの大切さを私は忘れない。何に対しても常に疑問を抱き、答えをわがものにしたときの嬉しさは筆舌に尽くしがたい。しかし、「答え」は決まっていないということ、それが間違いでも許されるということ、そういうことを聞いて余裕ができた。いわば、一方通行が交差点になったような気持ち。自尊心だけを膨張させず、互いを敬えるよう、紆余曲折しながら道の幅を広げていきたい。
過去を顧みたとき、「あぁ、あの時こうなっていたら今頃……」とか「こうしていればよかったのに」とか、今となってはもうどうすることもできないのに、そんなことをしょっちゅう考えているような気がします。僕は空想のなかで自分が主人公となってストーリーを描き、そして過去をつくりかえて遊んでいるのです。まぁ、……別に楽しいわけじゃありませんけど……。
 現実の社会状態とは? 自分が主人公となってなすべきことは?
 今のこの社会のなかで自分が役に立てること! そういう自分らしさを表現でき、そして誰かのタメになるようなことを今探しているところです。(本当のところは脇役が好きだったりして)
今の話を聞いて、すごくいい考え方をしているなと思ったのは、自分は自分であり、そして他人の存在を認めるというところ。そして、人生そのものを難しく考えず、あえて手探り状態で生きていくという考え方。
 自分のことを認識して、それも自分だという我をもち、それを受け入れるということほど難しいことはないと思う。初めから自分というものを決めつけられるより、自分で自分というものを探す。最高だと思う。
自分が楽しく、生きてて良かったと思う暮らしをするには、自分の考えを言いつつ、人の考えも聞き、結局みんな小さく、考えは分かれるが、そこから必要な決めごとを作っていくのが一番。
 私が主人公ということは、みんなが主人公と言っているのと同じなのだ。だから、みんなで社会は作らないといけない。
どうしてロックの思想を教育の現場で実践してくれないのかと思います。こういう考え方を早い時期に学んでいれば、もっと自由にのびのび生きられたのに。
 30才までは私も自分が中心にあるのではなく、常に周りを考え、それで自分というもののあり方を考えていました。40才に入りましたら、随分と生き方が楽になりました。自分を飾らない、ありのままの自分でいたい、背伸びなんかしないで生きたいと思うようになりました。
 人生半ばを過ぎ、私も人並みに老親の面倒をみる時期になり、初めて自分の母親の生き方を考えるに、私はこれと違う人生を送りたいと思い、ふたたび学ぼうと思ったのです。これからの人生、私が主人公であり続けられたらと思います。
すばやく正解を見つけて一本道を進むより、いろいろ寄り道をしながら私は生きていきたい。今のところ何でも失敗してみないと本当のことが身についてこないことが多く、私って覚え悪いなと思うことが多いが、これも私の人生をおもしろく豊かにしてくれるものだと思っている。
 いろんな考え、ものの見方、さまざまなものが私の目に映っている。それを私は私の材料として吸収したりしながら、毎日を楽しんで生きていこう。それが主人公である私の生き方だと信じている。