アナーキスト・マルクス
アナーキズムを,たとえばつぎのように定義すると,マルクスの思想との距離はほとんどなくなる。すなわち,「権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想」(鶴見俊輔)。
誇らしくアナーキストを自称したプルードンは,1840年の著作『所有とは何か』の結論部分でこういっている。
「自由な協同社会[association]……これのみが唯一可能な社会の形態であり,唯一正しく,唯一真なるものである。……人間による人間の統治は,いかなる名称を装うとも,抑圧である。社会の最も高度な完成は,秩序とアナーキーとの結合のなかにある」。
青年マルクスはプルードンのこの著作を高く評価する。マルクスいわく,この著作は所有に対して「最初の決定的な,遠慮のない,それと同時に科学的な検討をくわえる。……真の経済科学をはじめて可能にした進歩である」。「彼の著作はフランス・プロレタリアートの科学的宣言」である(『聖家族』2-29,
39)。
所有(固有=properなもの)は共同体(共有=commonなもの)の否定から生まれたが,この所有の否定(否定の否定)は共同体への復帰ではない。プルードンはいう。「共同体はおめでたい痴呆状態の画一化によって,人間の自由で,能動的で,理性的で,独立心あふれる性格を縛りつける」。
固有性と共同性の総合をとりあえずアナーキーと名づけるならば,それは俗にいう無秩序・混乱とは無縁のものである。上記のテキストBでマルクスが表現しようとしたのも,まさしくこのアナーキーの社会状態であった。すなわち,各人がどこまでも自由で各自多様なままでありながら,社会においては秩序が自生する,そういう姿が展望された。エゴイズムの全面開花は歴史的必然であり,進歩であるが,さらにつぎの段階の共産主義において,人間は社会的・共同的存在としての自己の本質に復帰する。
社会の自己組織能力
社会には秩序を自己創出する能力が潜在すると見るのがアナーキストの観点である。
バクーニンはいう。「正義と公共の秩序がおのずから……生まれてくるし,国家は……もはや単なる事務所,社会に奉仕する一種の中央組合にすぎなくなるだろう」(『連合主義・社会主義・反神学主義』,著作集5-120)。市民社会が自己充足するとき,媒介の体系(国家体制)は不要となり,政治的なものは社会的なもののなかに吸収される。政治は消滅する。国家は死滅する。
マルクスが『ヘーゲル国法論の批判』で「真の民主制においては政治的国家は亡くなる」(1-232)といい,「議会的要素は市民社会の政治的幻想である」(1-299)というとき,かれはこの観点を共有している。また,上記のテキストCはさらに明確に社会における自生的秩序の存在を肯定する。国家というかさぶたの下に息づく「現実の社会」というイメージをマルクスはプルードンから受け継いだのである。
『共産党宣言』の文言:「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会が現れる」(4-482)や,『資本論』における共産主義の定義:「各個人の完全で自由な発展を基本原理とするより高度の社会形態」(23b-771)にみられる「個人の自由な発展」の賞揚も,人間の本質的な共同性,人間集団内部に潜在する秩序構築能力,いいかえればアナーキーへの信頼がなければありえない発想だといえる。
アンチアナーキスト・マルクス
目的と手段の分離
人間集団に自己組織能力が備わるとすれば,その場において権威が介在する必要はない。人民の代表を名乗る者が登場する必要もない。しかし,マルクスにとってこれはあくまでも将来の無階級社会でのこと。すなわち,「プロレタリア運動の目標である階級の廃止がひとたび達成されたならば」(18-44)という条件がつけられる。アナーキーは目標であり,それにいたる手段はアナーキーであってはならない。
この目標と手段の分裂をバクーニンたちアナーキストは矛盾だとして激しく批判した。1871年〜72年,インタナショナル内部での有名な論争点である。
バクーニンはアナーキーの原理そのものにたよってアナーキーを実現しようとする。「自主的かつ完全に自由な連合によって,……個人と諸派の多様にして自由な影響関係を通して下から上へと組織され,自らの生活を創造するときにこそ,はじめて人民は幸福に,自由になれる」(『国家制度とアナーキー』,著作集6-196)。
未来を志向する組織が未来の原理を組織内で先取りしようとすることを,マルクスは闘争のリアリスティックな観点から否定する。すなわち,インタナショナルがその生存のために闘っている瞬間に,バクーニンらの企ては「組織破壊と武装解除」にしかつながらないという(「インタナショナルのいわゆる分裂」18-37)。
ブルジョアジーの保持する強大な暴力装置に立ち向かうプロレタリアートの隊列が自由を組織原理とするならば,革命闘争の敗北は必至である。アナーキストは権威の原理を否定して,プロレタリアートの組織にも権威は不要と主張する。これは闘争の手段を放棄せよというにひとしい。マルクスはこのように述べて,まず秩序だった組織,効率的に闘う組織をつくるべく,アナーキスト集団をインタナショナルから除名した。思想史的には,これは共産主義の原理からアナーキズムにつながる要素が公的に排除される最初のステップであった。自由分散主義は革命の事業を妨げ,利敵行為につながる有害な思想であるというのが,以後共産主義の常識と化した。
権威の必要性
第二の対決点は,いわゆるプロレタリア独裁にまつわる。
マルクスはいう。「労働者は,新しい労働の組織をうちたてるために,やがては政治権力をにぎらなければならない。……労働の支配をうちたてるためには,一時的に暴力にうったえるほかはないのである」(「ハーグ大会についての演説」18-158。平和的な手段もありうるともいうが,大事なのは権威による支配の必要性を述べている点)。
これにたいするバクーニンの批判は手厳しい。
「独裁は人民の完全な解放を達成するためにはどうしても必要な過渡的手段である[とマルクス主義者はいう]。アナーキーあるいは自由が目的であって,国家あるいは独裁は手段だというわけである。……われわれはこれに答えて,どんな独裁も自己を永久化する以外の目的をもちえないし,独裁はそれに甘んずる人民のなかに奴隷制を生み出し,育てることしかできないのだと主張する。自由は自由によってのみ……つくりだすことができるのだ」(『国家とアナーキー』,著作集6-255)。
マルクスはバクーニンのこの著作を読んで,かなり分厚い摘要を残しているが,プロレタリア独裁については,「階級の存在の経済的基礎が廃絶されるまでの」(18-645)一時的なものという釈明をくりかえしているのみである。もちろん,この摘要を執筆した当時,インタナショナルからバクーニン派は除名されており,マルクスは政治的に勝利していたわけで,この摘要の存在は単にマルクスの内面のわだかまりを表現しているにすぎない。
階級闘争における非合理的なもの
アナーキストと同じ心性を表明するテキストAを書いたのは23才のマルクス。そのマルクスが晩年にはバクーニンを階級敵とみなすにいたった。
科学主義
バクーニンはマルクスの不寛容を非難する。かれはいう。インタナショナルが組織的に急成長できたのは,その綱領からあらゆる政治的・哲学的原則を排除し,公認の真理を認めなかったことによるのに,マルクスは単一の政治綱領を全体におしつけようとしている。
バクーニンによれば,これが「科学的社会主義――すなわち学問のある社会主義者による新しい社会の組織と統治」の本質である。労働者階級の無数の要求をひとつの政党の政策が包括できるはずもないのに,科学的社会主義者は科学の力によって労働者自身よりも労働者の真の利益がわかるのだという。
のちに「科学主義的傲慢」(ハイエク)として性格づけられる傾向をバクーニンは指摘しているのである。すなわち,あらゆる偏見からの自由を意味する「科学的」態度とは異なり,科学主義はある限られた領域の合理的判断や方法を傲慢にも一般化しようとする。
バクーニンのみるところ,その帰結は最悪の中央集権制である。「科学的に発見された公式的真理が」シナイ山頂から万人に告げられるや否や,あらゆる討論は無益になり,「もはや新しい十戒の全条項を暗記することしか,なすべきことはない」(『反マルクス論』,著作集3-379)。
隠れた非合理主義
「君,それは違う!」とマルクスは反発するが,今日的な目でみれば,バクーニンは相手の痛いところをついている。
現代フランスの社会学者でプルードン研究者アンサールはこのマルクスを新たな解釈で救助する。かれはマルクスが将来の共産主義社会イメージの提示に禁欲的である点に着目した。この沈黙の意味は何か。それはマルクスが「まさしく厳密な方法論を用いたからこそ,現実における非連続性と非合理性の発現をみてとることができた」からである。科学は実践にとってかわることができない。未来の社会はまさに創造的な諸階級の営みの産物であり,その大部分は予測の埒外にある(『マルクスとアナーキズム』)。
階級闘争のなかでプロレタリアートは自らの道徳的な強さを鍛え上げ,自らにつながるものと連帯し,行動を起こしてゆく。いま大事なのはそうした社会主義的情熱の喚起である。マルクスは「矛盾の系列的連鎖」というアイデアをプルードンに学びながら,革命運動が無限に続くことを予感している。ひとつの革命が成就したかにみえても,それはやがて新たな矛盾を生まずにはおかない。われわれはアナーキーをめざしつつ,現時点で可能なことがらを最大限に追求する以外になすべきことをもたない。そのエネルギーの喚起をマルクスは密かに狙いとした。
科学の限界の自覚と,運動が内包する創造性(いいかえれば非合理性)への信頼がマルクスにはあった。とすれば,マルクスのアナーキズムは終生一貫していたと解釈できる。
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