プルードンのアンチ・フェミニズム 女は男に比べて,体力・知性・徳性がそれぞれ3分の2だから,合わせると8:27の割合で劣っている……とプルードンはいい(『正義論』),当時でもフェミニストを憤らせた。 プルードンの真意は何か? プルードンのいう「正義」とは,存在を構成する部分が互いに異質のまま対立しあい,対立しながら均衡すること。集合存在の基本は,対立し均衡する「対」であり,「対」の系統的連鎖が全体を形づくる。 対立があるからこそ運動があり,輝きがある。個の自由を言い立てて共同性を無視すれば,それは不毛な対立を生むのみ。共同性のために個を無視すれば,そこで得られる安定は単なる不活性で,やはり不毛。プルードンが志向するのは,個がその全き自由を保持しながら,なおバランスのよい共同性が実現する社会。 個と共同性の結びつきを,われわれは家族のなかで学びとる(先取りする)。 同質性,画一性に根ざした社会は蜂や蟻の集団にも似た共有制である。また,力量を等しくする者どうしの間では,敬愛や献身は生まれがたく,友好よりも反目の方が育ちやすい。したがって,正義を実現するには,差異のある者どうしの「対」が必要である。 家族という集団はまさしくその条件を満たす。メンバーは性も年齢も,考え方・感じ方も異なる。そうであるからこそいっそう親しみは増し,正義の感情が育つ。それぞれが自由に個性を発揮しながら,他者への配慮が自然に生まれ,まとまりのある全体を形成する。 「結婚は異質な二要素の結合である。二つの知性と二つの意思をもった一つの魂である。」こうしたあり方が人間に成長をもたらす。愛と愛が,自由と自由が交換される関係のなかで,人は他者の人生をも「わがもの」として生きる。醜くなったから,衰えたから相手を変えることなど,この関係から本来出てくるものではない。 愛ではなく快楽をきずなとする関係では,相手は自分のための道具にすぎない。正義の観念は,人格と人格の持続的な交流から生まれてくる。「私は魂を高まらせるような愛だけを評価する」。そうでない結婚は「合法的な売春」としかいえない。 家族という枠組みは「徳性」の向上にも必要。 徳性の第一は「権威」である。子は父親の権威を感得して,自分に上位するものの存在を知り,謙虚さを学ぶ。父親は権威の体現者として自分が現れるとき「義務」の観念を感じとる。同時に自己の尊厳と責任を自覚する。生命の存続を確信し,個を超えてなお個にとっての痛切な関心事があることを痛感する。 しかし,その家族は同時にヒエラルキー的構図の雛形となる。家父の専制化を生み,女性たちに従属の苦痛をもたらす。彼女らに自立の欲求をいだかせ,子どもたちにh解放の願望を植えつける。家族をまとまらせる原理が,そのまま家族を解体させる原理となる。 プルードンが暗示する解決方向: 個の尊厳を大事にするか(所有),集団の連帯を大事にするか(共有),社会の観念(集合的意識)はその間でゆれる。家族のあり方はそれを反映する。われわれは共有制の下で生きるにはあまりにも自立的であり,所有制の下で生きるにはあまりにも連帯的である。 とすれば,それぞれの社会のあり方と「対」になる(敵対する)あり方を家族のなかで追求するのが,あるいは正しい姿勢なのではないか。 参考:拙稿「プルードンの家族論」『鹿児島県立短大商経論叢』第36号,1988年3月 |