『鹿児島県立短大紀要』第43号,1992年12月15日

プルードンの未発表手編『経済学』について

斉藤悦則


 1846年,プルードンは『経済的諸矛盾の体系――貧困の哲学』を刊行したが,この著作は翌年マルクスの『哲学の貧困』によって手厳しく批判される。しかし,プルードン自身がこの批判の書の中に見たものは,ドイツ人青年亡命者の功名心と嫉妬にすぎない。じっさい,二つの書を読み比べると,マルクスの書は批判というよりむしろ悪意にみちた中傷といった性格が強い。そこでプルードンはこれを黙殺する。

 47年以後のプルードンの活動は多忙をきわめた。それは『経済的諸矛盾の体系』で一応研究の段階を終り,これからは応用の段階に入ると考えていたからである。こうして彼は新聞を発行し,時局について大いに発言しはじめる。48年革命以後は,国会議員となったり,「人民銀行」の設立を企てたりする、65年に死ぬまで,数多くの著作を発表したが,体系だった経済学理論を展開することはもはやなかった。はたして,彼の経済学研究は46年の著作をもって完了してしまったのであろうか。

 じつはプルードンは50年代の初めごろ『経済学』1)と題する著作を準備していた。54年10月,友人あての手紙のなかでプルードンはこう書いている。

「私は今もっと重大で,もっと実入りのよさそうな仕事をしています。まず,経済についての大著がそれです。これを高く売ろうと思っています。目下の生活苦にピリオドを打ち,また年来の借金も清算しなければなりませんからね。この仕事でおよそ2万5千ないし3万フランが手に入るのは確実でしょう。この本は来年6月に出る予定です。でもコレラにかかったせいで,ひょっとすると3ヵ月ほど遅れるかもしれません」2)

 しかし,この『経済学』は結局公刊されなかった。かなりの量の手編が書きためられながら,ついに未発表のままとなったのである、それはながくプルードンの家族の所蔵する手稿群のなかに埋もれ,わずかにプルードン研究者オプマンのみが博士論文作成のために閲覧・利用している。そのオプマンの博士論文(および補助論文)3)でも,『経済学』手稿の全体の枠組みは明らかにされていない。

 オプマンは1971年に事故死したが,その少し前,プルードンの手稿群は家族からプルードンの生地ブザンソンの市立図書館に寄贈されている。Fonds Proudhonとしてそこに保管されている大量の手稿群のうち,『経済学』の束は当初 Pr-43 という番号であったが,1984年ようやく図書館員による整理が完了し,あらたに付された番号はMss. 2863〜2867である。

 われわれがこれから見ようとするのは,この『経済学』手編の概要である。

 

手稿のフォーマットと複数の仮タイトル

 『経済学」の手稿群は,幾つもの別の仮タイトルのもとに書かれながら,いずれも未発表に終ったものの寄せ集めという体裁になっている。

 Mss.2863〜7という番号からもうかがえるとおり,それは大きく分けて五つの束からなる。そして,そのそれぞれがまた複数の束に分けられる。旧番号 Pr-43 のもとでの下位区分番号は,I-0からI-15の計16束である4)

 Mss.2863はそのうちI-0-3を含む。総数239葉であるが,オプマンによる複写(タイプおこし)5),を除けば,正味145葉。主要なフォーマット(単位はすべてcm)は28×43で,プルードンは紙の両面を用いている6)

 Mss.2864はI-4-6を含む。総数は208葉だが,正味は187葉。主要なフォーマットは22×28である。

 Mss.2865はI-7-9を含む。総数は136葉,正味は106葉である。フォーマットは初めの6葉(I-7にあたる)が28×43.5,ほかはすべて22×28である。

 Mss.2866はI-10-13を含む。総数は287葉,正味は238葉である。主要なフォーマットは21.5×28である。

 Mss.2867はI-14-15を含む7)。総数は185葉,正味は55葉で,主要なフォーマットは22×28である。

 以上,『経済学』(Mss.2863-2867)のうち,総計731葉がいわゆる手編部分をなす8)

 さて,すでに述べたように『経済学』は幾つもの仮タイトルで書かれた下書きの集成であるが,すべて見渡してみるとわれわれは次のことに気づく。すなわち,プルードンはまずタイトル,そして目次を書き,それから各項目をふくらませるような執筆スタイルをとっている。したがって,手編のなかには単なるタイトルと大まかな目次のみを記しただけのものも多い。執筆プランだけを記したものもある。そこで,われわれはそれらのうち,多少なりとも内容にふくらみのあるものを選んで紹介することにしたい。以下の6タイトルがそれである。

 

@『経済学――社会哲学の新原理』……Mss.2863のほぼ全体(I-1-3)と,Mss.2865の冒頭部分(I-7)がこれに相当する。

A『経済の新原理――社会科学の新要素』……Mss.2864の大半(I-6)。

B『経済学――新しい科学の構築の試み』……Mss.2864の一部(I-5)とMss.2865の大半(I-8)。

C『経済学』……Mss.2866の前半部分(I-10〜11,およびI-12の一部)。

D『革命の実践』あるいは『経済学――新しい科学の序論』9)……Mss.2866の後半部分(I-12の一部とI-13)。

E『進歩の哲学の諸原理』……Mss.2867の一部(I-14のA)。

 

執筆の時期について

 6タイトルの下書きのうち,最初のものがプルードンが55年に出版しようとした『経済学』の原稿であろうことは容易に推察できる。手稿の束の一番上に位置していることからも,プルードンがこれを中心にすえて,それ以外の手稿をいわば素材として利用しようとしていたことが見てとれる。(内容の面からも,そう読みとれるが,このことは後で述べたい)。また,記述されている事項にも,その執筆時期が54年であったことをうかがわせるものが幾つかある。

 たとえば,「序文」と見出しのある紙片の冒頭にプルードンはこう書いている。

「科学を探求して14年,私は研究と論争を重ねてきたが,この長きにわたる探索の成果がようやく得られた。[…]なるほど,経済科学は簡単なものではない。しかし,私がかつて別の著作(『諸矛盾の体系』)で明らかにしたように,この科学の素材はすでにそろっており,構築されるのを待っているだけなのである」10)

 ここでいう14年とは,もちろんプルードンの本格的なデビュー作「所有とは何か」(1840年)を起点にしている。

 また,同じく「序文」と見出しがつけられた別の紙片にも,こう書かれている。「2年前,ギヨーマン社から『政治経済学辞典』と題する大著が出された」11)。『政治経済学辞典』は1852年から53年にかけて,2巻本の形で世に出たものである12)。この辞典をプルードンは読書ノートを作りながら読んでいる13)。その作業を契機にプルードンは経済学研究の方法論を大きく変えることになるのだが,それについては後でふれたい。ここでは執筆の時期が1852年ないし53年から2年後であることを確認しておくにとどめておく14)

 次に,AおよびBのタイトルの手稿についてであるが,これらは@と内容的に近似している上に,『政治経済学辞典』の第二巻(1853年)を読んだのちに書いたと思われる部分も含んでいるので15),執筆時期は54年前後と推定される。@との前後関係では,上でほのめかしたような方法論の転換の有無から判断しても,さらに@を完成させるための素材とも思えるような束の配置から推察しても,ABは@よりも先に書かれたものと見てよい。しかし,AとBとの間の前後関係については,今のところどちらが先とも判断しがたい。

 最後に,CDEはいずれも1852年のクーデタ以前に執筆されたものと思われる。48年草命の総括と今後の展望といったものに言及しながら,クーデタはまだ知らないといった書きぶりだからである。CやDの手稿を包む新聞の日付がそれぞれ1850年9月30日,あるいは同年8月13日であることもその傍証となろう。

 Cの時期を示唆するものとして,われわれは次の記述に注目したい。「12年来,私は批判者として抗議してきた」16)。ここからCは1852年ごろ書かれたことがうかがえる。

 DEは内容の点で,プルードンが1851年から1853年にかけて発表した諸著作の原型的性格を示している。すなわち,Dは1851年の『19世紀における革命の一般理念』と,Eは1853年に出版された『進歩の哲学』(1851年末の日付のついた二つの書簡からなる体裁をとる)17)と密接に関わる。とりわけ,『進歩の哲学』はもともと『経済学』の一部をなすものとして構想されながら,自立した形で出版されたものである18)。われわれはこのDEの手稿について,いずれも1851年ごろに書かれたものと推測する。

 こうした推定が正しければ,6タイトルの手稿はじつに束ねられた配列とほぼ逆の順序で執筆されたことになる。したがって,われわれはプルードンが執筆した順序(と思われる配列)で,これらを紹介していきたい。つまり,Eを最初にとりあげてみたい。

 

手編E『進歩の哲学の諸原理』の概要

[目次]

氈D存在するということの諸条件
.社会的存在の中にある力
。.単純な集合行動 action collective
「.複雑な集合行動
」.集合組織
、.集合行動の影響下での,経済力の発達
・.集合理性
ヲ.集合的人間についての諸理念

 1853年に,出版された『進歩の哲学』の内容が,やや抽象的な哲学談義といった趣きであるのに比べ,手稿の方はオプマンもいうとおり,はるかに社会学的な性格が強い。

 すなわち,『進歩の哲学』でプルードンが力説していることは,時の言葉であった「進歩」を通俗的な概念のまま何かしら絶対的な真理や善きことや美的完成へ向けての直線的な歩みととらえることの危険性である。完成の志向はかならず絶対主義や画一主義にいたる。これに対してプルードンのいう「進歩」とは動くこと,変化することである。したがって,進歩とはわれわれがますます自由になることにほかならない。

 手稿『進歩の哲学の諸原理』は,この「われわれの自由」と「わたしの自由」との関係を問題とする。「われわれ」は一人ひとりの「わたし」によって成り立ちながら,しかも個の総和以上の何ものかである。こうした「集合存在」のありようを正しく理解しなければ,社会とは不毛な対立の場,あるいは強者の論理がまかりとおるような場にすぎないものとなる。

 このように,手稿は50年代初頭のプルードンの社会哲学的,社会学的問題意識を『進歩の哲学』よりもはるかに鮮明に表明している。この時期以降のプルードンの知的営みのライトモチーフは次の二つである。一つは,動くものを動くものとして,まさしく動態的に把握するような方法論を確立することであり,もう一つは「集合存在」の独自の性格やメカニズムを明らかにすることである。これはすなわち社会そのものをリアルに把握しようという企てにほかならない。

 この手稿『進歩の哲学の諸原理』では,固有の意味での経済分析はきわめて希薄である。しかし,ここで重要なのはプルードンがこうした社会哲学を彼の『経済学』の基盤にしようとしていることである。

 

手稿D『さまざまの革命の実践』
 (『経済学――新しい科学の序論』)の概要

[目次]19)

ブルジョワ諸氏へ
第一編.革命の原因と革命の主体について
1章.社会における利害の変動性。革命の第一原因
2章.人間精神における観念の揺れ。革命の第二原因
3章.革命の主体について
 §1 存在の定義=集合体
 §2 潜在する精神と自由な精神
4章.自然における超自然的なもの,人間における驚嘆すべきもの

第二編.集合存在の知徳体にわたる実在性について
1章.集合あるところに力あり,力あるところに理念あり
2章.集合的人間は一つの生きた力である
3章.人民は個人の集合であるが,一にして不可分である
4章.主権者としての人民
5章.集合的人間の実在性と個人との違いを明らかにする一般的諸現象
6章.人類こそ最高存在

第三編.集合的人間における思考の形態――人民の心理学
1章.人民において行為と言葉は同義
2章.人民において現実と理想,美と効用は一つ
3章.人民において進歩は伝統に比例する
4章.あらゆる革命は人民の知的な営みである
5章.何を人民の行為と認めるか
6章.人民の判断の形――目的論
7章.集合的人間の無謬性は何によるか
8章.人類の教育――社会のシステム
9章.権利が力の尺度。その基準は革命ごとに変わる
10章.革命の系列全体は未知であり,社会のシステムも未知である

第四編.集合的人間の営み――革命の実践
1章.遅れていることがあらゆる革命の原因と動機。革命は運動の加速
2章.既成の秩序が自己矛盾に陥ったとき,機は熟す
3章.矛盾が万人に感得されるようになったとき,革命はなされる
4章.そのとき,革命行動を引き起こすには一つの言葉で足りる
5章.あらゆる革命は本質的に現実的で経験的
6章.あらゆる革命は総合的で普遍的
7章.あらゆる革命は否定から始まる
8章.あらゆる革命は二面的――光と闇
9章.革命のプログラム、89年=良い,93年=悪い,48年=もっと悪い
10章.革命の真の実践者は誰か。48年の連中を批判する
11章.人民のみが革命を行う資格と力をもつ
12章.党やセクトは革命のペスト
13章.社会の政府は本質的に革命的
14章.社会の上に立つ外在的な政府はすべて本質的に専制的で反革命的
15章.議会などへの主権の譲渡はかならず主権の纂奪,公的自由への侵犯
16章.集合意志の人格化はかならず人民主権・革命への侵犯
17章.権力の分立はかならず主権の破壊となる
18章.革命の方向でなされることはすべて正しい
19章.方法と手段についての理論。反革命はいつも安定を口実にする
20章.反革命は最大の犯罪
21章.革命的復讐について
22章.革命において,要求は相手の抵抗に比例する。譲歩の政治
23章.革命を進めることは可能だが,やりなおしは不可能。先読みの政治
24章.革命は一国においては敗北しうるが,人類においては不敗
25章.1852年のための実践的な結論20)

 この手稿は,1851年の著作『19世紀における革命の一般理念』とテーマの上で近似性が高いが,両者はどこでどのように相違しているのであろうか。われわれはこの『一般理念』の目次にも目をとおしてみよう。

 『19世紀における革命の一般理念』の目次は以下のとおり。

ブルジョワ諸氏へ
第一研究 反動が革命を引き起こす
第二研究 19世紀には革命の十分な理由が存在するか
第三研究 アソシアシオンの原理について
第四研究 権威の原理について
第五研究 社会的清算
第六研究 経済力の組織化
 1.信用
 2.所有
 3.分業・集合力・機械――労働者のカンパニー
 4.価値の構成;安価の組織化
 5.外国貿易:輸出入の均衡
第七研究 経済組織への政府の溶解
エピローグ

 目次どおしの比較からも容易に見てとれるように,著作『一般理念』の方は時論的性格が相対的に強い。手稿の方は,具体的な政策提言をほとんど示さず,基礎原理を少しずつ確認しながら,最終段階でようやく実践的結論をわずかばかり提示してみせるという段取りになっている。先にみた手稿E「進歩の哲学の諸原理』と同様,基本的には「集合存在」についての社会学的分析の方がはるかに強く意識されているのである。つまり,プルードン『経済学』の二つのライトモチーフはここでも鮮明で,人間の集合体(プルードンの言葉では「集合的人間」)の独自の性格を総合的に解明するような「新しい科学」の構築をひたすら準備しているプルードンの姿がほの見えてくる。

 

手編C『経済学』の概要

[目次]21)

第一部 集合存在の心理学

1章.社会=集合的人間22)
2章.一般理性における対立理念の同一性
3章.人類の漸進的構成;諸国民の法的状態
4章.民衆のパーソナリティ,あるいは国民性
5章.主権の行使

第二部 先験的経済学 Economie transcendantale

 第一編 歴史――社会の漸進的成立――過渡的諸形態
1章.社会の出発点。野蛮・貧困・戦争
2章.奴隷制。強制労働
3章.信仰――その社会的機能の視点から考察する
4章.国家
5章 裁判――正義の組織化
6章 社会の最終的でノーマルな状態=アナルシー。集合存在の自律性

 第二編 実践哲学・倫理・法の裁き
1章 ちゃんとしたモラルはまだ確立していない
2章 社会法則とそれによる制裁についての一般理論
3章 盗みをなくすこと――他者の財産の尊重
4章 不実・狡猜・虚偽をなくすこと――誓ったことを守る
5章 性の乱れをなくすこと――恋愛と結婚
6章 調停の受け入れ――契約・取引・妥協の理論
7章 個人の尊厳について

 第三編 思弁哲学
1章 論理学あるいは形而上学――百科全書的な幹としての経済学
2章 存在論,心理学,……および神学
3章 宗教的観念の変形簿集合存在=社会が神と入れ替わる
4章 美学。美について――理想について
5章 人類の解体=逆の運動。全般的注解。結論。

 一見,いかにも『経済学』というタイトルにそぐわない構成となっている。それは,もともと二つの異なるテーマのもとで書かれたものを後で合体させたことにもよる。すなわち,第一部は「集合存在の心理学」であるが,第二部「先験的経済学」の初めのタイトルは「革命的実践(社会経済の漸進的組成)」だったようである。しかし,ここで重要なのは,固有の意味での「経済学」らしからぬ内容のものをプルードンは『経済学』の大切な構成要素と見なしていることである。

 第一部でプルードンは「集合存在の理論」と「経済学」の関係について次のように述べている。

「われわれが研究しようとしている経済は,あれこれの家事,あれこれの国,職業,科学に関わるものではない。[…]われわれが研究しようとしている経済とは,市民どうしの関係,国民どうしの関係,また彼らと人類全体との関係に関わるものである。したがって,この研究において,われわれは家族・市民集団 cite・国民・人類,総じて言えば社会を一個独特の個性として考察する。いま何よりもまず明確にすべきは,この社会と個人との関係なのである」23)

 経済学とは経営の術に関わるものではなくて,人と人とが絡み合い,ぶつかりあうなかで生まれてくるものを見抜く科学だとされる。社会という集合存在の独自のありようを正しく把握していない通俗的「経済学」は,集合体の諸現象に個の論理をアナロジカルに拡大して対応しようとする。これは大きな誤りである。

 第二部「先験的経済学」は奇妙なタイトルであるが,ここでのプルードンの問題意識は「動くもの」としての社会をどうとらえるかということである。彼はこの奇妙なタイトルと並ぶオリジナルな(と思われる)タイトル「革命的実践(社会経済の漸進的組成)」の下にこう書き記している。「利害の変転・理念の変転・理想の変転」。そして,この三つの変転に対応して,「第一編=歴史,第二編=モラル,第三編=人類が神と入れ替わる」が構想されている24)。ここでは彼の「進歩」観が語られる。すなわち,動くこと,変転してやまないことが社会の常態だというのである。その運動をリアルにとらえることこそが「経済学」の役割だと考える。

 この運動について,彼はこう書いている。

「すべての人間のあいだに,ある隠れた傾向,引力のようなものが存在する。それによって人々は集合させられ,彼らの最大の利益と彼らの自由の最大の発展のために,集団となって行動するようにしむけられる」25)

 一部と二部をあわせることによって,プルードンは社会の営みを「集合的なもの」「動くもの」として表現しようと試みているのである。

 

手稿B『経済学――新しい科学の構築の試み』の概要

[目次]26)

1章.経済科学について
2章.経済科学の対象=富と進歩の一般理念
3章.富を生み出す力,経済力について
4章.労働。第一の経済力
5章.労働の組織化。分業と集合力。第二の経済力
6章.(労働の組織化の続)生産物・消費・賃金・価格 27)
7章.交換。第四の経済力
8章.(交換の続)価値の構成
9章.資本
10章.信用。利子の理論
11章.(信用の続)交換・貨幣・価値・資本・信用・利子の問題の解決
12章.競争。第五の経済力
13章.(競争の続)貿易バランス・税関・販路・植民地
14章.所有。第七の経済力
15章.アソシアシオン・保険
16章.家族
17章.経済に先行する諸組織――教会と国家
18章.統計と会計。一般的均衡。運動の永続性
19章.経済の乱れ。モラルの基盤と制裁
20章.経済の乱れ
21章.経済の乱れ
23章[ママ].(?)社会における運動と進歩の永続性

 この手稿B(およびA@)は,これまでの手稿EDCと執筆の時期においてズレがあることは先に指摘しておいたが,これら二つのグループは内容の面でも断絶が見られる。はっきりいえば,このB以降からプルードン『経済学』は「普通の」経済学らしくなる。

 ところで,この手稿Bの固有の特徴といえば,それはマルクスによる批判(1847年の『哲学の貧困』)に対応しようとしていることである。分業と集合力(および機械)を論ずる予定の第5章にそれがあらわれる28)

 ただし,記述としてはきわめて簡潔,というより単にマルクスの名前とプルードンが対応すべき批判の書『哲学の貧困』のページ数を書きとめただけのものである。すなわち,プルードンはマルクスの書の第二章第二節「分業と機械」のいくつかの箇所をあげ,それに対して応える用意があることをほのめかしている29)。プルードンは青年マルクスからの批判を黙殺してきたのだが,じつは密かに反論を準備していたことは興味深いことがらである。

 手稿Bの二つめの特徴は,所有を経済力として肯定的にとらえる視点がきわめて明瞭に提示されていることである。46年の「経済的諸矛盾の体系』第11章「所有」では,まだ否定的な性格づけの方が濃厚であり,51年の『19世紀における革命の一般理念』第六研究「経済力の組織化」2節「所有」では,土地所有に関して限定的に評価するにとどまっている。しかし,54年ごろに書かれたこの手稿では,もっと踏み出して,遺稿『所有の理論』を思わせるような断定的な調子での肯定がなされている。

 この手稿の第14章で,彼はこう書いている。

「所有は労働・信用・交換・競争と同様,本当の経済力であり,富を生み出す原理である。したがって,社会の活動の全面開花と経済の均衡のために不可欠なものである。所有とは生産と均衡の原理であること,これこそ光があてられるべき命題なのである」30)

 さて,手編Bの三つめの特徴は,「経済力」の最終項に「家族」をもってきていることである。46年の「経済的諸矛盾の体系」でのそれは「人口」であった。そのときプルードンは「人口」を語るなかで,人口とは消費者であるばかりでなく同時に生産者であるとして,議論をふたたび生産の問題へと還元し,全体として円環的な図式を描き出した。ところが,この手稿での議論の展開は,富の生産からその最終的な消費へという直線的な構図になっている。

 家族が一つの「経済力」であることについて,彼はこう書いている。

「科学の対象は労働であるが,その目的は豊かな暮らし bien-etre である。
 しかし,重要なのはこの豊かさのあり方であり,そのルールである。もはや望ましい労働様式,すなわちもっとも魅力的で苦痛の少ない労働様式が問題なのではない。(その問題はすでに分業・アトリエ・交易・国家などのアンチノミーを解決するさい論じておいた)。求められる豊かさとは,先行する一切の生産行為から独立した純然たる楽しみ jouissance のことである。[…]
 楽しみというものは,われわれを疲れ果てさせるものではなく,リフレッシュしてくれるものでなけれぱならない。労働を嫌悪させるものではなく,ふたたびやる気をおこさせてくれるものでなければならない。[…]
 これはみな純然たる経済の問題といえる。[…]
 一般に,日常的消費の場には世帯 menage という名称が与えられる。[…]
 ここで問題なのは,両性の和合・妻の役割・子供の教育・老人の慰めのためにもっとも適した形態を見出すことである。労働にも資本にも有利で,倹約のためにも販路としても有利で,情念の均衡のためにも個人意志の発展のためにも有利な形態とは何であろうか。
 家族,これがその形態である。
 もし家族がこの問題を解決するものであるならば,つまり,私の信ずるとおり女・子供・老人を守るもの,労働や販路を支えるもの,自由と豊かさの最大条件であるならば,[…]家族とは一つの経済力であるということができよう」31)

 手編Bは一面で「普通の」経済学の体裁に接近しているものの,反面,プルードンのもっていた独自の問題意識(集合の理論と運動の理論)がその分だけ希薄になっている。23章で,どうにかそれを盛り込もうとした形にはなっているが,下書きではわずかに見出しをつけただけにとどまり,中身の記述はほとんどない。

 

手稿A『経済の諸原理――社会科学の新要素』

 

[目次]32)

序論
§1 政治的混乱。社会的矛盾。解決の必要性。政治的手段の無力さ
§2 アポステオリに証明される経済科学の可能性。旧来の方法の放棄。下準備
§3 経済科学の全般的性格。観念の変動性,あるいは理念の不安定性。歴史的真理など
§4 観念にひそむ傾向性。経済の能力、あるいは社会目的論。無限へ向かう傾向性
§5 対をなすものの多様な役割。ものごとを形づくるアンチノミックな理念,すなわち創造の理念。綜合的な理念,すなわち保守の理念。敵対的な理念,すなわち革命の理念
§6 経済科学の独特の方法。三段論法的ではない。すべての観念はたがいに平等で,相互に転換可能。偽の論理の凡俗な諸法則。原理に反する帰結。部分的には真でも全体的には偽。無限の発展の結果としての一致,すなわち,ただ一切の限界がなくなることのみの帰結としてのバランス。やり方はいぜんとして同一のまま。単一の理念をどこまでも二つに分ける
§7 社会システムとか社会問題とは何と理解すべきか。政治家や社会主義者の一般的な誤り
§8 経済科学と哲学・神学との関係。さまざまの宗教的・政治的・経済的ユートピアの共通の起源。次の三つに見られるほぼ同一の内容。神学=象徴,哲学=論理(?),政治経済学=実現
§9 以下の著述の進め方。根底的な革新

第1部 諸観念 Les notions
第一編 生産
1章.対象と定義
2章.労働
3章.富
4章.生産。創造
5章.分業
6章.労働用具
7章.労働素材
8章.労働の価格
9章.労働の進歩と発展
10章.労働の配分。取得
11章.労働における敵対

第二編 流通
1章.概観
2章.商業の動き Mouvement mercantile――簿記
3章.労働用具の動き
4章.財政の動き
5章.繁栄と譲渡の動き

第三編 消費あるいは再生産。逆の運動
1章.消費とは何か? 友愛。消費=労働者の活動に対応した社会的リアクション。有機的統一。再生産=社会に適用不能のまったく個人レベルの観念。――二種類の消費=再生産的なものと非生産的なもの。これは何?
2章.再生産的消費。資本形成の理論
3章.販路の理論
4章.非生産的消費,あるいは社会の一般経費
5章.一般経費の理論
6章.地代と利子の理論
7章.教会と国家の理論
8章.租税の理論
9章.法解釈の動き

第2部 諸問題
1章.社会・経済の問題とは何か? バランスの必要性。――無制限のものであるモラルや知性の力をどうバランスさせるか? 社会のための殉死や自殺の可能性
2章.生産物のバランス,あるいは価値の問題。相互保証契約
3章.財政バランス,ニュメレールの問題,利子の廃止
4章.資本のバランス,信用の問題。負債の廃止
5章.貿易のバランス,関税の問題
6章.能力のバランス,分業の問題。労働者の教育
7章.機能のバランス,労働者アソシアシオンの問題
8章.才能のバランス,個人の自由の問題
9章.コルポラシオン・集団のバランス,競争の問題
10章.所有のバランス,土地・担保の清算
11章.租税のバランス,公債の廃止
12章.権力のバランス,政府の問題
13章.人口のバランス(家族,あるいは男と女について一言。都市と農村の均衡,人類と地球の均衡)
14章.信仰と理性のバランス,宗教の将来の問題
15章.結論。革命後ただちになすべきこと。社会の全面転覆

 

 第1部は生産一流通一消費という配列となり,ますます一般的経済学の図式に近似している。少なくとも,この目次を見るかぎりでは,プルードンでなければ書けないといった体裁の「経済学」像は浮かんでこない。とすれば,プルードンの『経済学』を特徴づけるものは,「序論」に見られる社会哲学ということになるのであろうか。

 しかし,われわれがこの第1部の配列で確認すべきことは,54年ごろのプルードンができるかぎり「普通の」経済学者と共通の言語や枠組みで対話しながら,通俗的な経済学を全面的にひっくりかえそうともくろんでいることである。プルードンにそれまで見られた「社会学的」な志向が背景に退いてしまっているのも,このように考えてはじめて理解できる。つまりは,彼の戦術的配慮と了解すべきであろう。

 第2部では,問題を提示して,各章ごとにその問題の解決方向を示すという形になっている。これは46年の『経済的諸矛盾の体系』と大きく異なる点である。すなわち,46年の書では,種々の項目に内在する矛盾をあばきながら,それを解決すべく登場した項目もそれ自体が矛盾を内包するとして,問題の解決は総体的・全面的なものでなければならないとした。ところが,この手稿では各項目のそれぞれで「バランス」が語られる。この手法は51年の『19世紀における革命の一般理念』で部分的に用いられたものである。そこで,この手稿Aの特徴というべきは,その手法が価値の問題から人口の問題まで,いわば網羅的に貫かれているということであろう。

 

手編@『経済学――社会哲学の新原理』の概要

 

[目次]

第1部 諸原理

序文

第一編 純粋哲学
1章.諸原理の探求
2章.第一哲学

第二編 諸観念・公理
1章.定義不能の諸観念――用語集
2章.経済学の公理
3章.方法

第2部 有機的経済 Economie Organique

第一編 労働一生産。産業活動の概観。――経済力
1章.輪作(休耕による豊作)
2章.運輸。自重と積載量の法則
3章.分業
4章.集合力
5章.労働用具―機械
6章.人間の機械化

第二編 交換。生産物の分配
1章.生産との混同――生産と交換は全く別の観念
2章.価値について(需給の現象。二つの力の敵対)
2章[ママ].交換の法則は平等・バランス
 §1 賃金と価格。(原価と売価)
 §2 公分母への収数――貨幣
 §3 交換の分解=売りと買い
 §4 結果として生ずる乱れ=投機・シーソーゲーム・相場操作
 §5 競争
 §6 会計
 §7 人間による調停・介入

第三編 信用一理念の進化(個別から一般へ)
1章.掛け売りと為替手形
2章.貸し付け(資本・利子・償却の理論)
3章.銀行(預金・割引・融資・土地信用)
4章.個人銀行・合名銀行・公立銀行
5章.売買のバランスによる信用の問題の全般的解決。
   価値の公的な構成

第四編 所有
1章.矛盾しあう諸理論――理念の定義不能性
2章.科学的な理論。所有の反社会的要素
3章.取得の諸条件――さまざまの所有形態
4章.地代の理論――償却あるいは消滅

第五編 社会集団
1章.個人あるいは自由――その経費
2章.家族・共同体・男女の結合――その経費
3章.作業場・労働者社会。参加――その経費
4章.コルポラシオン――その経費
5章.都市・コミューン(入市税の理論)――その経費
6章.国民あるいは国家(租税の理論)――その経費
7章.諸国家。貿易バランス
8章.人口の問題――有機的力のバランス。労働と生殖への応用

 

 第2部の方から先に検討すると,ここでの特徴は経済の系列から「消費」が消えて,そのかわりに最終章が「社会集団」となっていることである。つまり,集団の理論がふたたび重要な位置をしめるようになったともいえる。しかし,ここでのプルードンは「経済学」を論ずるという形をとろうとして,やはり集団の理論本来の「社会学的」な匂いを薄めるよう努力しているように見える。

 この手稿@の最大の特徴は,何といっても第1部にあらわれている。すなわち,プルードンにおける方法論の大変換である。この変換に関して,彼はこう書いている。

「私は叙述の順序を変えることにする。先の『諸矛盾』での進め方には一切したがわないことにする」33)

 彼のいう『経済的諸矛盾の体系』での進め方とは,基本的な概念(と思われるもの)の定義づけから出発して,諸観念の継起にしたがって体系を構築していくことであった。彼はその著作の中で「第一期=分業」から「第十期=人口」までの矛盾の系列的連鎖を示したが,この十にわたる「エポック」の配列で諸観念の継起的性格を表現した。しかし,いまやプルードンはその発想を全面的に放棄しようとしている。

「経済の諸観念はたがいに絡み合い,浸透しあい,相互に規定しあっている。[…]したがって,出発点は労働か資本か,信用か価値か,交換か所有か,そんなことは理論を確かなものにし証明をクリアなものにする上で,どうでもよいことなのである。形而上学と同様,経済学においても,諸観念は他との関係でいずれが最初で,いずれが最後かというものではない。それらはすべて同時のものであり,ただ叙述上の都合で発生論的な外観を呈するにすぎない」34)

 新たな方法論とは何か。それは「定義」から出発しないということである。あるいは,とりあえず経済の諸観念は定義不能であるとの断言から出発することである。しかし,この新たな方法論の意義がどういうものであるのかを知るためにも,われわれはプルードンにおけるこうした転換が何を契機としたものであるかを確認しておきたい。

 転換にとって決定的だったのは,52年と53年に出たコクラン編の『政治経済学辞典』35)である。プルードンはその4千項目を読み,読書ノートをつけ,「なかなか有益な考え方や貴重な教訓が含まれている」としながら,結論としては「しかし,科学は一歩も前進していない」36)と断ずる。そして,次のように述べる。

「経済学者たちの無能ぶりと科学の不条理さを目の当たりにして,私は仮説を変えた。つまり,定義された諸観念を使いながら前に進むのではなくて,未定義の観念から出発した方がよいのではないかと考えたのである」37)

 では,なぜその方がよいと考えたのであろうか。通常の,あるいは彼自身のそれまでのスタイルではどこが不都合なのであろうか。方法論の転換で彼は何を明らかにしようとしたのであろうか。プルードンはこう答える。

「二つ,あるいはそれ以上の異なる定義が付与されうる理念・事物・関係,これを私は定義不能のものと呼ぶ。[…]
 変動し変化することを本性とし,さまざまの異なる視点,ときには相対立する視点から眺めることなしには完壁な理解は得られず,その神髄は系列的に追跡可能でありながら単一の定義ではつかまえることができない,そういう理念・事物・関係を私は定義不能のものと名づけるのである。[…]
 こうした事物・関係・理念の十全かつ明瞭な理解にいたる第一条件は,したがって,その定義不能性を認めることである。この基本条件を抜きにしたのでは,ものごとの認識は外面の混沌のなかにおちこむしかなく,それらの間の関連や法則や体系を理性的に把握することはできない」38)

 こうしてプルードンにおける方法論転換の根拠が明らかとなった。それは「動くもの」を「動くもの」としてとらえるための転換であった。科学的であろうとして「定義」から出発しても,現実は定義づけられた瞬間にするりと身をかわしてしまう。それならば,むしろ初めから定義不能と観念して,可能なかぎり多元的な視点から眺めつつ,たしかな手ごたえのあるものをつかんでいくことの方がリアルな理解に近づけるといえよう。そして,手ごたえのたしかさを保証する装置としてプルードンは「公理」を位置づける。

 ともかく,プルードンはここで彼本来の志向である「運動の理論」をさらに高度化させたことになる。このモチーフはいったん希薄化したように見えたけれども,『政治経済学辞典』を媒介としてふたたぴ姿をあらわしたのである。そして,もう一つのモチーフである「集合存在の理論」もこの手稿@の第2部第五編「社会集団」で登場する。したがって,まさしくこの手稿@こそ50年代前半のプルードン「経済学」構築の営みを総括するにふさわしい著作となる予定のものだったのである39)

 それでは,なぜこれほど重要な作業が公表されないままとなったのか。それが最後に残った問題である。これに対して,われわれはまた十分説得力のある説明をすることができない。繊密かつ膨大なプルードン伝記を書いたオプマンによる説明も,これに関してはきわめて貧弱である。すなわち,彼によれば,『経済学』の出版が予定されていた1855年の5月,ミルクールなる人物が誤謬と中傷にみちたプルードン伝記を発表し,これに大いに憤ったプルードンは反駁を準備し,それが後の大著『革命と教会における正義』(1858年)につながった。そのおかげで『経済学』はとうとう世に出ることがなかったというのである40)

 しかし,われわれは1855年以降に出されたプルードンの著作のなかに,この『経済学』で展開されたことがらの再現を見ることができない。なぜ彼がその後,経済学の体系構築をあきらめたのか,それはいぜんとして謎のままである。


(注)
1)原語は定冠詞なしの「エコノミー」である。「経済」と訳すべきかもしれない。プルードン研究者オブマンはこの手編を総じて「経済学講義」Cours d'Economie,あるいは「講義」と呼ぶ。それは最初の束を包む紙の上にそう記してあったことが主な理由であるが,われわれの見るところ最初の束には「エコノミー」と書かれているし,プルードン自身もその他の束には幾度となく「エコノミー」の一語のみを見出しとして用いている。

2)1854年10月17日付Maurice宛の手紙,「書簡集」Correspondance de P.-J. Proudhon, Paris, Lacroix, 1875, VI. p. 79

3)オプマン(Pierre Haubtmann,1912-71)がソルボンヌに出した博士論文は彼の死後,複数回に分けられて印刷された。主論文は Pierre-Joseph Proudhon, sa vie et sa pensee (1809-1849), Paris, Beauchesne, 1982.および Pierre-Joseph Proudhon, sa vie et sa pensee (1849-1865), Paris, Desclee de Brouwer, 1988, 2 vols。補助論文は La Philosophie sociale de P.-J. Proudhon, Grenoble, Presses Universitaires de Grenoble, 1980。「経済学」手編についての論及は,主としてこの補助論文のなかにある。

4)オプマンによれば、計20束であり,彼はそれらをFeuillet I~XXと名づけている。Haubtmann, La Philosophie sociale de P.-J. Proudhon, pp.261-262,note 9.

5)オプマンは『経済学』の社会学的性格に注目しており,その関心にそった部分を抜き書きしている。また,神学的部分の複写も多い。これはオプマン自身が神学者でもあることと,彼がこの手稿と後のプルードンの主著『革命と教会における正義』との連関を探求していたことによるものと思われる。

6)『経済学』手稿を構成する紙のサイズは雑多である。ここで「主要なフォーマット」というのは,それぞれの束のなかで量も多く,まとまりもよいもののサイズをさす。

7)I-14はさらに A-D の4束に下位区分されていた。

8)オプマンがFeuillet I~XX(およびHors serie I-II-III)と名づけている20の束と,I-0-15の16の束との対応関係を,われわれはまだ十分明確につかんではいない。現在の時点で推察できることのみ示しておこう。Feuillet I~XIII は,I-0-12に順次対応しており,Hors serie I-II-III はI-15に対応しているようである。ちなみに,手稿の上に鉛筆で書かれた I-0-15という番号づけはオプマンの筆跡によるものと思われる。とすれば,博士論文作成以後オプマンは『経済学』手稿をあらためて整理しなおしたことになるが,その意図は不明である。I-0-15の I という記号も,なぜ I なのか不明である。(『経済学』以外の手稿群との記号的連絡関係もない。)

9)二つのタイトルのうち,『さまざまの革命の実践』の方が本来のもので,『経済学――新しい科学の序論』は後で付けられたものである。

10)Mss.2863,no.21.

11)Mss.2863,no.10.

12)Ch. Coquelin et Guillaumin(dir.), Dictionnaire de l'Economie politique, Paris, Guillaumin, 1852 et 1853, 2 vols.

13)『政治経済学辞典』の読書ノートも手稿のなかにはさみこまれている。Mss:2863, no. 145-168.

14)オプマンも『経済学』手稿冒頭部分にある「序文」については,その執筆時期を54年後半から55年初めと推定している。Hanbtmann, La Philosophie sociale de P.-J. Proudhon, p.262。オプマンは手稿のその他の部分についても独自に時期を推定しているが,その根拠をほとんど示していない。

15)Zollverein(関税同盟)の項についての記述。

16)Mss.2866, no.139.

17)第一の書簡は「進歩の理念について」と題され,日付は1851年11月26日,第二の書簡は「確実性とその基準について」と題され,日付は1851年12月1日である。この日付についてオプマンは疑問ありとし,その経緯について論じている。(Haubtmann, op. cit., pp.131~136.〕

18)ibid., p.133.

19)この目次は,第一編についてはMss.2866, no.287,第二編以下については Mss-2866, no. 271~272をもちいて合成した。

 第一編についても,Mss.2866, no.271をもちいるなら,以下のようになる。(ただし,少し縮めた。)

 [第一編の目次]

 前書き.さまざまの革命に学ぶことはカタストロフィを予防することである。

 第一編 進歩の一般的観念。存在の第一行為と革命.

  1章.人間の行為のヴァリエーション

  2章.精神における理念の振動

  3章.概念の拡がり。その変動性の原因.

  4章.社会における理念の進歩。すなわち,系列化・一般化

20)手編Dは500ページの本になるだろうとプルードンは計算している。すなわち,章の総数としては,前書き=1章,第一編=5章,第二編=4章,第三編=8章,第四編=25章で,計43章。1章あたり10ページとして,430ページ。これに「革命カレンダー Ephemeride revolut.」70ページが加わる。(Mss.2866, no.272)。ただし,この章数はここで紹介した目次の単数とやや異なる。

21)手編Cは800ページの本になると計算されている。すなわち,第一部は350ページ,第二部の第一編は75ページ,第二編は125ページ,第三編は150ページで,これにエピローグ150ページが加わる。(Mss.2866. no.57.)

22)欄外に注記がある。「社会とは個人の多様性のなかの統一の形成である」。Mss.2866, no.60.

23)Mss.2866,no.65.

24〕Mss.2866,no.126。三編の構成について,次のような記述もある。

「社会についての科学は大きく三つに区分されるが,それらは互いに類似し,相互補完的であり,相関的である。

 1.経済学,利害についての科学,政治学はこのなかに溶解する。

 2.論理学,あるいは哲学,諸理念の形成と分類と結合についての科学。

 3.理想,ここには宗教・モラル・芸術が含まれる。

 さて,経済学はもっとも最近になってできたものであるが,にもかかわらず他の科学の基礎であり,その軸をなす。われわれはまさにこの経済学から新たな探求の系列を開始することにしよう」。

 そして,プルードンは引き続き次のように書くが,その一文は斜線で消されている。

「私は12年にわたって批判的な研究をしてきたが,ここで初めてポジティブな研究の試論を公表する。読者のみなさんがこれを歓迎してくれることを期待したい」。(Mss.2866, no.39)

25)Mss.2866, no.128.

26)手編Bは480ページの本になると計算されている。すなわち,全24章×20ページ=480ページというのである(Mss.2865, no.96)。しかし,下書きはその構想どおりには進んでおらず、特に20章以降は文字どおり「乱れ」ている。

27)第6章には,もう一つ別の見出しのものがある。それは「国内における関税同盟Zollverein」と題されている。(Mss.2865, no.34~36)

28)第5章の下書きは少なくとも3種類存在する。(Ms5.2865, no.21, 22 et 23~28.マルクスの名前が登場するのは初めの二つの紙片である。〕

29)以下にマルクスに関わる部分の記述を紹介する。[]内の数字は邦訳『哲学の貧困』(大月書店版『マルクスリ=ンゲルス全集』第4巻)における対応箇所を示す。

 「定理19――分業によって,労働は専門性を得るが,拡がりを失う。(アダム・スミス)。

 分業についてのマルクスの記述,121[149],123[150-151],130[156]ページを参照のこと。[略]

 機械一機械は集合力の道具 organe である。

 マルクスの134[158],135[159]ページを参照のこと。

 定理21――集合力によって,労働はイニシアティブを失うが,力を得る。櫨械の自動性。

 マルクスの引用するユーア博士,136[160]以下を参照のこと。

 アトリエ,機械については,マルクスと私[『経済的諸矛盾」]を参照のこと」(Mss. 2865, no.22)。

 また,プルードンがマルクス『哲学の貧困』を読みながら,この本にどういう書き込みをしているかについては,Haubtmann,Pierre-Joseph Proudhon, sa vie et sa pensee (1809-1849) の巻末資料(pp.1053~1063)がある。

30)Mss.2865, no.68。こうした所有の称揚のポイントは,所有によってこそ責任の意識が生まれることにある。所有を否定した共有制(共産主義)では,労働者は指示を待ってノルマを果たす兵隊,もしくは自動機械と化す。そζでは生き生きとした経済力を見出すことができない。

31)Mss.2865, no.75.

32)手稿Aは二巻本の大著になる予定であった。彼の計算によれば,全47章,各20ページで計940ページ=2巻本である(Mss.2864, no.112)。ただし,この計算は同箇所にある目次の章数の総和と一致しない。

33)Mss.2863, no.168.

34)Mss.2863, no.86.

35)主だった執筆者の名前を列挙すれば,バスティア,ブランキ,シュルビュリエ,ミシェル・シュヴアリエ,デュノワイエ,ガルニエ,モリナリ,レオン・セイなど,当時一流の陣容である。

36)Mss.2863, no.10.

37)Mss.2863, no.72.

38)Mss.2863, no.71.

39)オプマンはわれわれと別の意味で『経済学』は『経済的諸矛盾の体系』の「結論」であったと述べているが,この言葉自体はまったくそのとおりである。Haubtmann,op・cit. p.127.

40)ibid. p-261.

(平成4年7月15日受理)

 

2001年10月25日にHTML文書化

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