資料4

久留米の失敗に学ぶ


 まちの映画館づくりで成功例が深谷シネマ(埼玉県)なら,失敗例には久留米スカラ座(福岡県)を挙げてもよかろう。
 久留米はどのように,また,どうして失敗したのか?
 それについて少し考えてみたい。

映画館が消えたまち

 久留米市(人口24万人)のまちなかにあった映画館も閉館があいつぎ,2004年12月末,郊外にシネコンができると,最後の1館も経営困難となる。
 その久留米スカラ座の支配人,福成浩幸さんは生き残りをかけて「単館系・アート系」への変身を企てた。シネコンとの差別化をめざしたのである。2006年4月からロードショー作品の上映をやめ,5月には入場料一律5百円のワンコイン興業を始める。
 その努力もむなしく,2ヶ月後,けっきょく「一時休館」。こうして,2006年7月から中心市街地には映画館がなくなった。(ポルノ映画館を除く)
 一方,久留米市にも映画を自主上映する団体があった。「カルキャッチくるめ」(1992年に創設,正式名称=「久留米市ふるさと文化創生市民協会」)は,あの「ふるさと創生1億円」で作られた組織である。まちなかの「六角堂広場」にりっぱなオフィスをもち,事務局員3名,イベントのコーディネーター100名を擁した。同じ広場内にあるTMO=株式会社ハイマート久留米(1993年創設)とも連携し,映画の上映会を含む,さまざまのイベントを企画・運営してきた。
 2006年,久留米にちょっとした映画ブームが起こる。久留米を舞台にした映画「Watch with Me 卒業写真」の撮影開始がきっかけである。市長を顧問とする「支援する会」が市役所内で発足式を催す。久留米大学では,「地方発の映画」というテーマでシンポジウムが開かれた。パネリストの掛尾良夫さん(キネマ旬報映画総合研究所所長)は,深谷シネマの「成功」を紹介した。
 スカラ座の支配人,福成さんもこの小ブームに乗じて,映画館の再開を企てる。「カルキャッチくるめ」のチーフコーディネーター,金子盛司さんたちがその呼びかけに応える。この年,2006年12月に,NPO法人「カーテンコール」設立の準備が始まる。しかし,NPOの認定を得ぬまま,映画館は翌年3月,「見切り発車」的に再開された。(認定は8月に得られた)

スカラ座の再開

 このあわただしさは,映画館の持ち主にオープンをせかされたかららしい。いま借りてくれるなら,1フロア月額10万円,2フロアあわせて20万円でよい,という条件。客席数はいずれも約250なので,その広さからすれば,破格の安さだ。しかも,映写機,スクリーン,スピーカー,そして座席がすでに設置済みなのである。
 皮算用で,1日60人の観客が入れば,入場料千円としても6万円。月に180万円。光熱費はもちろん,常勤3人とパート数人分の賃金もこれでまかなえる。
 この計算をたてた人たちの念頭にあったのは,深谷シネマのケースである。あの小さなまちでさえ,月に3千人近い観客が来る。深谷で実現したことが久留米で実現しないはずがない。入場料千円という安めの料金設定も深谷シネマをまねた。
 オープン直前,2007年2月に金子盛司さんがまとめた事業計画書は,おい,大丈夫かといいたくなるほど明るいトーンに満ちている。
「久留米未公開の日本映画の名作公開を幹に,長年培った作品への洞察力と,観客の時代に応じたニーズを把握した上映作品を選定する。いい作品を上映すれば人は振り向いてくれる。人は街の中に還ってくる。それに伴い,旧作の掘り起こしを通して地域における映像文化の構築を目指す」

 事業・環境分析(いわゆるSWOT分析)もなされているが,その内容も今にして思えば楽観的にすぎる。
 S(自分の強み)は「映画への情熱・経験」であり,「まわりの方々の応援がある」こと。また,O(事業上の機会)は「街中の映画館の要望が多い」こと,「高齢者のニーズに対応できる」ことである。
 事業の2W1Hの記述も楽しい。

「誰に売るのか」=「車社会から離れつつある人,地球環境問題に関心の高い人,車という足を持たない人」
「何を売るのか」=「シネコンが取りこぼした,小品ながら観た人の満足度の高い作品」
「どのように売るのか」=「料金を千円とし,割安感を強調する。会員特典(詳細は検討中)実施。昭和白黒映画,時代劇,西部劇などシリーズ企画。講演やライブなどのホールとしての企画営業」 客が来ない

 オープニング上映作品は「フラガール」と「ゆれる」。『キネマ旬報』で2006年度1位と2位だった作品である。
 しかし,あてにしていた「Watch with Me 卒業写真」の,ご当地久留米での先行公開はTジョイにとられてしまった。これがケチのつきはじめ。
 オープンして1〜2ヶ月,春先には1日40人ほどだった客数もやがて20人前後に減少し,電気代(月20万円)も払えなくなる。
 もちろん,客を呼ぶ(あるいは掘り起こす)努力はなされた。7月には,「しゃべれども しゃべれども」の上映にあわせて「久留米落語長屋」と題する7日連続の寄席が開かれた。初日は満席となった。地元バンドの演奏会も開いた。10月には「スローフード・シンポジウム」を開き,王理恵さんを招いてトークセッションを行った。12月には,「銀幕のスターたち」と題し,久留米出身の田中麗奈を呼んで,初主演作「がんばっていきまっしょい」(1998年)を上映した。
 しかし,再開してちょうど1年,2008年3月,とうとう営業は続行不能となり久留米スカラ座は店を閉じる。NPOとしての「ありがたみ」を享受することもないまま,じり貧の形で終焉を迎えた。

何のためのNPO?

 持続的な経営のためにはNPO化が不可欠――これはあの深谷シネマの竹石さんが力説する点である。久留米の金子さんはそれに習ったともいえる。
 法人化の理由について,金子さんはこう語っている。
「興行収益のみに捉われた映画やDVD等が普及する昨今、当団体の『心に残る映画』の上映活動で、多く人達に映画文化の良さを伝え、さらに、地域の活性化を図るには活動の継続が重要なことなのです。その為にも、多少の時間や手間がかかっても法人化すべきだと考えました。法人化することで信頼性が増し、多くの助成金、補助金制度への申請が可能になり、活動の維持に繋がるからです」(久留米市の公式ホームページに掲載)

 これを読む限り,話の要点は助成金の獲得だ。たしかに,お金はほしい。法人化→信頼性増加→助成金ゲットという流れを期待する気持ちも理解できる。しかし,助成金に目がくらむと,二つの問題が見えにくくなってしまいそうだ。
 まず,法人化に伴う事務処理・財務処理の煩雑化。その苦労は,法人化の御利益に見合うかどうか。法人化は,組織の目的実現に役立つというより,むしろ逆に,法人維持のための作業負担を強いるかもしれない。本末転倒の事態が生じかねない。
 もう一つは,まわりからさまざまの支えを得ることの必要性。深谷の竹石さんによれば,NPO化の一番のありがたみは,行政や商工会議所(地元企業や商店)との連携が深まること,地域からの力強い支えが得られやすくなることにある。助成金はむしろおまけと考える方が健全だ。
 久留米の場合,法人としての経営が半年しか持たず,NPO化のために支払った労力がむなしかったばかりでなく,認定された時期(タイミング)が悪く,何の助成金・補助金も得られなかった。つまり,二重に悲劇的だった。

敗因

 わかりやすい部分のみを列挙すれば

1)器が大きすぎた
 俗に「貧乏人が馬を貰った騒ぎ」という言葉がある。良いものを手に入れても,こちらに力量がないと,うまく使いこなせず,持てあます。まさにこれである。
 250席が2フロア,これをほとんど改装せずに使ったので,アート系,単館系としての再出発を上手に印象づけられなかった。やはりミニシアターにはそれにふさわしい,適正な大きさがあるらしい。
 大きすぎると,ムダに空気を暖めたり冷やしたりしなければならず,その電気代もバカにならない。

2)バカさ加減の不足
 「破格の条件」に飛びつき,「走りながら考えよう」と決めての出発だった。しかし,客は増えるどころは,むしろ減る一方。
 計算も甘かったが,それよりも「客が来なくても続ける」だけの余裕がなかった。金銭的にも精神的にも。
 とにかく映画館には客は来ないものと観念すべきである。これはミニシアターでもシネコンでも同様である。持ち出し覚悟の出発でなければならない。つまり,映画館経営はバカでなきゃできない。 3)支援なし
 TMOの関係者が感じた印象によれば,「金子さんたちは勝手に走り去った」。相談があれば支援のしようもあったのに,という。その言葉は本当かどうかわからないが,まわりの支えがなかったのは確かなようだ。
 商店街のなかにありながら商店主たちからもアテにされない。これも再開を急ぎすぎた弊害のひとつか?
 自主上映団体の時代の財産も活かされない。ひとつの運動体であれば,人的な支え(活動力の提供など)はその後も期待されるはずであった。ところが,じっさいには中核の数名のみが死ぬほど働いて力尽きた。

[謝辞]

 NPO法人カーテンコールについては,副代表の小路賢司さんと映写技術担当の福島英治さんから数々の貴重な資料を見せていただいた。記して感謝する。

(鹿児島コミュニティシネマ通信・第14号=2009年4月号所収)