『思想と現代』 27号(1991年10月7日発行) pp.90〜100 所収
唯物論研究会の機関誌(季刊)だが,この雑誌はもはや存在しない。
本稿のタイトルは「矛盾を生きる」にするつもりだったが,最後になって変更。
[このページは2001年10月26日にHTML文書化したもの]


矛盾と生きる
――プルードンの社会主義――

斉藤 悦則


はじめに

 「所有とは盗み」という言葉で有名になったプルードンである。しかし、彼の晩年の言葉によれば「所有とは自由」である。一方には激しい所有非難があり、他方には所有の礼賛がある。たしかに、彼の言葉の不整合をあげつらって、プルードンを「生きた矛盾」だなどと批判するのは簡単だ。また、プルードンを救うつもりで、彼の晩年の所有擁護を単なる逸脱とみることも不可能ではない。しかし、プルードンはわけもわからぬうちに矛盾におちいったわけでもなけれぱ、晩年になって自説を曲げたわけでもない。プルードンの思想のおもしろさは、彼自身が積極的に矛盾にこだわった点にある。

 あるいは「矛盾と格闘した」と形容した方が、プルードンの主観的なまじめさにふさわしいかもしれない。しかし、彼の真意は矛盾をねじふせて、美しい解決を導き出すことではなかった。わかりやすさを求める民衆は矛盾のない社会を夢見たりするが、プルードンに言わせれば矛盾のない社会とは(ありうるとしても)活気のない「死んだ社会」にすぎない。われわれが、まじめさを武器にして、まなじりを決して(ときには血を流して)求めるぺきはそういう社会なのだろうか。たとえ矛盾は解消しても、それは問題の解決ではない。プルードンは社会の問題の解決は求めたが、矛盾の解消は求めなかった。矛盾(プルードンの言葉によれば「アンチノミー」)こそが社会に動き(生命)をもたらすものだからだ。

 プルードンの思想の味わいも、ここに由来する。プルードンの思想がゆれているように見えるのも、それは彼が社会の矛盾を丸ごとつかまえようとしているからにほかならない。われわれは以下で、プルードンが矛盾にこだわることによって大事にしようとしたものを見ていく。そして、それが今日の問題状況とどう響きあっているかも見てみたい。

 

氈@プルードンの「科学的社会主義」

 プルードンにとって問題状況ははっきりしていた。大衆の貧困がむきだしの形でそこにあり、サン・シモンの言う「人間による人間の搾取」もまた労働者にとってまぎれもない現実であった。フランス革命はその主人公である人民に十分な成果をもたらしてはいない。革命を続行することが必要だ。しかし、それは恐怖政治を再現するものであってはならない。人民主権の名による蛮行を讐戒する点で、プルードンはギゾーやバンジヤマン・コンスタンなどの近くにいる。私的所有に対する一義的反発から、共有制・共産主義への志向が生まれるのはわかりやすい図式だが、わかりやすい分だけ危険だと彼は言う。

 貧乏人の子どもであったプルードンには、プロレタリア・コンプレックスがない。だから、彼の民衆を見る目はときおり辛辣だ。「民衆は下層にあり困窮の中にあるからこそ、つねに自由と進歩の勢力を形成する。……しかし、その無知と……欲のゆえに、民衆はシンプルな形態の権成に心をひかれる。……民衆は首領を求める。……自分たちの利益のために献身してくれる首領だ。この首領に対して、民衆は無制限の権威を与える」(『連合の原理』301頁、邦訳357頁)(1)。「民衆は巨大な、神秘的な存在として自分の姿を見つめている。……彼らは自分のことを人民とか国民と呼ぷ。多数者だ、マスだと名乗る。……彼らは自らを絶大・無敵・無双と感じ、そう感じる分だけ分裂を恐れる。……一致・団結・画一・集中、これが彼らの夢見る理想状態なのだ」(同右、343頁、邦訳394頁)。

 こうして民衆は、あらゆる階級的な特権を消滅させる権威をもった絶対的な支配者を求める。つまり、平等と自由をもっとも必要としているはずの民衆が独裁政治をつくりだす。そして、特権者であるブルジョアジーの方が、独裁主義を予防するためにリベラルな統治を樹立する。ここに政治的な矛盾、政治的役割の転倒があるとプルードンは言う。

 プルードンはプロレタリア独裁という言葉を知らない。しかし、私的所有にもとづく体制の弊害をその対立物である共有制でのりこえようとすれぱ、かならず画一性の賞揚と多様性の嫌悪が生まれ、個人の自由が抑圧されることになると見ぬいた。コミュニズム(あるいはコミュノテ)という言葉そのものがすでに個人の抑圧を含意している。プルードンによれば、共有(コミュノテ)はコモンな(共同の)もの、所有(プロプリエテ)はプロパーな(固有の)ものを意味する。したがって、あれかこれかという単純で分かりやすい発想、あるいは敵のものは何でも否定するのが正しいという立場からコミュニズムに走れば、当然それは個人固有のもの(プロパーなもの)の否定につながる。

 社会主義(プルードンの言葉では「科学的社会主義」)にとっては、人間の固有性も共同性もともに大切である。どちらか一方を否定しても、出てくるのは粗野な資本主義か粗野な共産主義にすぎない。それはあまりにも貧しい選択だ。貧しいぱかりではない。それは現実に内在するものを無視しているので非科学的である(2)。非科学的でも夢想にとどまれぱまだいいが、その具体化はかならず暴力的・強権的とならざるをえないので、人民にとっては悲劇である。

 悲劇が人類の宿命なのだろうか。そうではないはずだ、とプルードンは考える。人類の歩みは福祉の増大への歩みであった(プルードンも進歩史観の子どもである)。そのわかりやすい指標は生産力の向上だ(プルードンも生産力主義の枠の中にいる)。人間がこれまで歴史的につくりだしてきた諸制度はいずれもそれなりの合理性をもっていた。人類の本能はあやまたない。では、社会の悲劇や悪弊はどこから生ずるのか。人類の本能があやまたないのなら、一切をなりゆきにまかせれぱ問題はひとりでに解決するのではないか。これに対するプルードンの答えはこうだ。

 たしかに、社会は法則や原理を内在させているが、それは二項対立の形をなしている。固有と共有もそうだし、権威(秩序)と自由、生産と消費、競争と独占などなど、系列は無限に続く。対立しあう二項はいずれも重要であり、社会の生命の支えであり、その原動力である。問題は、そのバランスがいつも悪いということにある。しかも、人間による操作がそのアンバランスをさらに増幅させる。とりわけ、共産主義の場合に見たように、一方で他方を抹殺しようとすると、その悲劇の度合いは大きくなる。

 つまり、社会は二つの原理の間でゆれる。ゆれるたびに悲劇が生まれる。このゆれを放置しておいていいはずがない。大事なのはバランスだ。バランスをとるためには、まず社会に内在する原理を正しく把握することが必要である。科学的社会主義は現実的なものの合理性という仮説から出発するが、それはもちろん現状肯定ではない。それは社会の生命のありかを探りあてるので、科学的社会主義は社会的公正(正義)と同時に社会の活気も増幅させる。ブルジョア経済学が公正を実現できず、共産主義が社会の活気を喪失させるのと対照的だ。

 こうしたプルードンの志向は生涯をとおして一貫している。その最初期の著作(1839)で彼はこう述べる。「秩序の中に自由があり、団結しながら自立があるような、そういう社会的平等状態を見つけたい」(『日曜論』61頁)。

 

 権威と自由

 個人の自由といった要素を社会主義のなかに含めようとするのは、プルードンからジョルジュ・ソレル、あるいは革命的サンディカリズムヘつながるフランス的伝統のようなものだ。これをアナーキズムと言ってもいいが、すでに見たようにプルードンの主張は権威や秩序の否定ではない。各人が各人の思いのままに行動しながら、なお全体の秩序が保たれるあり方、これをプルードンは追求している。もちろん簡単な問題ではない。自由はしばしば放縦に、秩序・権威はしばしば抑圧につながるからだ。

 プルードンは絶対自由主義を唱えたわけではない。そういう意味では、彼はほとんど常識の人である。一切の権威を否定するようなアナーキズムは、たとえどれほど魅力的でも政治体制としては空想の域を出ない。現実に内在する原理を無視しているからだ。われわれは権威と自由という二項対立から逃れるわけにはいかない。問題の解決の方向は一つしかない。すなわち、「権威と自由という二つの相反する要素間の均衡を見出すこと」である。

 「権威と自由は人類同様に古い。それはわれわれとともに生まれ、われわれ一人一人のうちで永遠に生き続ける。……この二つの原理は、いわば一組のカップルをなす。両者は互いに分かちがたく結びついているが、一方を他方に還元することはできない。……両者の一方を抹殺してみたまえ。他方はもはや意味をなさなくなる。議論する自由、抵抗する自由、服従する自由なしでは、権威は空語だ。自由も、それに対抗する権威がなければ無意味である」(『連合の原理』271頁、邦訳332頁)。

 人によっては「対立物の統一という言葉を使いたくなるところだ。しかし、プルードンは統一と言わずに「均衡」と言う(3)。プルードンによれば、アンチノミーを第三の項でのりこえようとするのが一番危険な試みである。彼の理解するところ、これはヘーゲル主義のことなのだが、高次の解決なるものは実は社会の生命力を圧殺しかねない。(これについては次の節でふれよう)。

 プルードンが言いたかったのはこうだ。問題を解決する道具立ては現実の中にすでにそろっている。既存の政治経済学が発見したことも、社会主義が主張することも、それぞれ真実の一部をついている。ただ、両者とも目配りが足りない。バランスが悪い。矛盾についての自覚はあるが,矛盾の解決を問題の解決と考える点で誤っている。矛盾こそが現実であり、社会の動きの源なのだから、われわれは矛盾とともに生き延びることを考えなければならない。そして、そうすることによってはじめて、今・ここでの問題の解決の道すじが見えてくる。

 権威と自由のアンチノミーにもどろう。「いかなる社会においても、もっとも権威主義的な社会においてすら、一部は必ず自由のために残されている。同様に、もっともリベラルな社会においても、一部は権威のために留保されている。この条件は絶対であって、いかなる政治的手立てもそれからまぬがれることはできない。人間の悟性はたえず単一性の中で多様性を解消しようとするけれども、この二つの原理は互いに向かいあったままで、つねに対立し続ける。政治の連動は両者それぞれの断固とした傾向と、相互のリアクションに由来する。」「いずれの統治システムも、結局つぎの公式であらわすことができよう。すなわち、自由で権威を、あるいは権威で自由をバランスさせること」(同上、271頁、邦訳333頁)。

 権威と自由がバランスするということは、各人が自分自身の主人であり、自分のイニシアティブで自由にふるまいながら、しかも全体の秩序が保たれるということである。こうした均衡を調整するメカニズム、あるいはその道具は、すでに現実のうちにある。契約の原理がそれだ。それはふだんの商取引でおなじみのものであり、少しも新奇なものではない。こうした互酬的なやりとりの中で、各人は互いの自由と権威をいっそう豊かに発展させることができる。

 これはルソーのいう社会契約とは全然ちがう。ルソーの社会契約論の場合、各人は自分の自由を何者かに全面的に譲り渡す。すべてを投げ出すのはすべてを受けとるためだと言うが、その保証はどこにもない。ルソーの理論は、国家なり組織なりに各人が全面的に帰依することを求めるような、悪質なフィクションにすぎない。

 プルードンのいう契約の場合、各人は自分が与えた分だけ受けとる、あるいは受けとる分だけ与えるような、いわば確実な手ごたえのある契約なのだ。各人は主体的、意識的に契約に参加する。ルソーの社会契約論の場合は、人は自分で知らないうちに契約を結んでしまっている。その理論は、歴史のある局面では合理的であったが、今はもはや有害なものとなった。(同上、318頁の原住、邦訳373頁)

 プルードンの契約は現実的であるがゆえに今なお合理的であり、さらに豊かな未来につながるはずのものであった。それは人間がさらに理性的となることを期待するものだからである。契約の習慣が拡大・定着すれば、社会的妥協も透明度をます。そこでの秩序はもはや軍隊的な命令や盲従によるものではない。彼はこの政治的契約を「連合」と名づけた。彼の連合主義=フェデラリズムは、人間各自、集団各自が互いに異質であり、多様であることを前提とする。異質であるからこそ交換・交流が生じ、契約が交わされる。そして、交換を通して各自の個性はますます豊かになる。しかも、この連合的社会主義は暴力的な激変を少しも要求しない。その革命は痛みを伴わず、悲劇的要素がもっとも少ないもののはずである(4)

 

。 矛盾の系列

 プルードンの社会主義の特徴は、現実の矛盾・アンチノミーをなくそうというのでなく、それを「均衡」させようとすることにあった。しかし、それは静止的な均衡ではない。逆である。矛盾が社会をつき動かしているのであるから、矛盾しあう二項を保存しつつ、したがって運動を保証しつつ、問題を解決することが求められた。社会主義は先行する経済システム以上にダイナミックなものでなければならない。プルードンのいう「均衡」にはそれが含意されていた。

 彼は言う。アンチノミーこそ「運動・生命・進歩を生み出す源である。……アンチノミーの解消、それは死だ。求めるべきは均衡である。しかも、たえず不安定な均衡、社会の発展そのものにそって変動するような均衡である」(遺作『所有の理論』52頁)。

 経済社会の運動は人間の歩行に似ている。それはたえずバランスをくずしながら前に進む。二本の足で安定してしまえば前に進めるわけがない。体をやや前のめりにすれぱ、一方の足が自然に前に出て一瞬体を支えるが、そのバランスはすぐにくずれて、もう一方の足が前に出ることを求める。アンチノミーがダイナミズムをもたらすとは、こうした体裁のものだ。

 プルードンは彼の主著の一つ『貧困の哲学――経済的諸矛盾の体系』で、経済社会のメカニズムをこうしたアンチノミーのからみあいとして描き出そうとした。人間は自らの福祉の向上をめざして、さまざまの経済的な道具立て(分業・機械・租税・信用など)を編み出すが、それらはかならず弊害をはらむ。たとえば、分業は生産力を飛躍的に発展させるが、人間の労働を単調な反復作業におとしめ、人間の知的・人格的成長をさまたげる。その弊害を克服するための別のカテゴリー(分業の次は機械)もまた新たな弊害をはらむ。こうした経済のいずれの原理も、その内部にアンチノミーがあるばかりでなく、相互にアンチノミーの関係にある。

 マルクスによる批判の書『哲学の貧困』は悪意ないし誤解にみちている。それによれば、プルードンはすべての制度に「良い面」と「悪い面」を見て、良い面を残して悪い面を除去しようとしたことになっている。とんでもない誤解である。アンチノミーは必然なのだから、「悪い面」だけ除去できるはずがない。プルードンが言おうとしたのはむしろこうだ。一つには、人間が善をめざしながら、善をめざすことそのものによって悪を作り出してしまう、そういうメカニズムが現実にあるということ(5)。一つは、いずれの「解決策」も新たな矛盾を生むから、メシア的な解決などありえない。したがって、解決の運動は永遠に続く。というより、運動は未来にむかって開かれていること。もう一つは、われわれは矛盾とともに生き続けるしかないわけだから、むしろ悪を逆手にとって、これを進歩・発展の原動力に変えること。

 プルードンによれば、現実はまさしく矛盾(あるいはアンチノミー)が系列的に連鎖した体系になっている。それは現実の構造であるばかりでなく、歴史的にもそうであり、したがって矛盾の系列は未来にも向かっている。その中でわれわれは何をなすべきか。プルードンの答えはすでに明らかだ。「均衡」である。マルクスはプルードンを評して、左右にゆれるプチブルと言ったが、それは当たっている。当たっているがプルードン自身は平気だ。絶対的な正しさ、絶対的な真実を求めることの「誤り」や「悲劇」を知っているからである。今・ここにあるものを全面的に否定して、高次の別世界で問題を解決するのではなく、現実のアンチノミーにこだわり、仮説的な均衡を求め、ゆれながら前に進む方がいいと考えている。

 彼の社会主義が交換の組織化を要としたのも、この発想による。プルードンの「人民銀行」計画は、マルクスなどからしばしば経済音痴の代名詞のように椰楡されるが、その思想的意義は大きい。『貧困の哲学――経済的諸矛盾の体系』で彼は、経済社会の根底的なアンチノミーは生産と消費のアンチノミーであると見た。基本カテゴリーである価値(使用価値と交換価値)のアンチノミーは生産者と消費者の視点の差に根拠があるとされ、最終カテゴリーである人口のアンチノミーも、生産する人と消費する口のアンチノミーに帰する。社会問題の解決は生産と消費の間で、すなわち交換と流通の面で行われなければならない。

 その意義の第一はこうだ。社会主義は生産に対しても消費に対しても強制力を発揮すべきではない。工場の組織化や家庭生活の組織化は、それぞれの自由にまかせるべきである。社会主義が経済の面でなしうること、なすべきことは、交換を公正化し、モノやカネがもっと自由かつ豊富に流れるようにすることにとどまる。意義の第二は、意欲と力量のある労働者に低利で資金を提供し、隷属的な環境からの脱却・自立を促す。リスクがあるから創意がうまれ、社会の流動化は活性化につながり、人々が自分の運命に自分で責任をもつ気風も育つ。競争が普遍化するので、生産物の品質も向上する。意義の第三は、こうした生き生きとして心楽しい生産労働の対極にある消費生活もまた、豊かで意味ありげなものに転換していく。つまり、社会主義は生産や消費の間に介入しただけで、その二つのカテゴリーをともに発展させることができる。意義の第四は、この交換組織(たとえば人民銀行)は既存のシステムを強制的に排除・消滅させる必要がない。それは並列的に設置されたとしても、こうしたメリットを発揮する(はずだ)から、多くの人々がその利に引きつけられ、社会主義は痛みもないまま(いつのまにか)実現してしまう。

 プルードン自身はこれをきわめて現実的なプランと考えたが、結局彼が生きている間には実現しなかった。しかし、彼が狙ったものは今でも新鮮だ。公正と効率、自由と秩序、個性と連帯など、すべて彼の言うとおりバランスの問題だからである。

 

「 しなやかに、したたかに

 プルードンのバランスのよさは、その労働観にもあらわれる。マルクスの場合は、クラシックな経済学の伝統にのっとって、労働を苦と見る傾向にある。分析の重点も労働の時間や強度といった抽象的側面にあり、さらに「搾取」の概念に自縛されたマルクス主義者となると、もう労働そのものの喜びはほとんど見えなくなる。(したがって、労働を刺激するには「人民のため」「国家のためにという外在的な要素が必要となる)。一方、フーリエの場合は、労働は「遊び」となるべきだとされ、その有用性や生産性が軽視される。つまり、労働はそれがおもしろいからするのであって、何かのためになるからするのではない、というのだ。プルードンはフーリエの「魅力的な労働」という観念を受け継ぎながら、仕事と遊びのアンチノミーをバランスさせようと考える。

 彼は言う。「たしかに、労働は人間の生命・知性・自由を最高に表現するものであり、それ自体魅力的である。しかし、この労働の魅力が有用性というモチーフからまったく遊離し、エゴイズムに回帰するというのであれば、私は反対だ。私は労働のための労働というものを否定する」(『経済的諸矛盾の体系』第一巻、123頁)。

 人間は労働をとおして自己を実現し、人間として成長する。まさに労働の現場で人は知性を育み、自由になり、他者と連帯し、文化を生み出す。プルードンのこうした「労働主義」が後の革命的サンディカリスムにつながったのはよく知られるところである。プルードンは間いかける。現実の社会では、労働者は労働の場面で人間性を喪失し、それ以外のところで人間性を回復しようとするが、それでいいのか。彼の社会主義は、こうした転倒をただすことにある。本来的な自己実現の場で人間になるのを放棄して、余暇時間で人間らしく生きようとしても、それはむなしい。生き生きとした生産労働をとりもどすことが必要なのだ。自分自身を「考える労働者」に成長させ、現場での創意や工夫、イノベーションを主体的に展開して、労働の主人公になるべきである。生産性の向上を自分の関心事とするのが労働者の本来の姿のはずだ。

 たしかに、所有者が労働の成果を「横領」する体制(プルードンの言葉では「所有の体制」)は変革しなければならない。しかし、労働の性格は所有の体制のもとでは苦痛で、革命後は快楽に変わるというような不連続なものではないはずだ。今・ここの労働の現場で労働者は成長していかねばならない、と彼は考える。労働の総合性の回復を要求し、有用物(消費者が喜ぶもの)を作るために創意を発揮し、作業の効率を高めるために工夫をこらす。これはすべて心楽しい労働を求める労働者の内発的な要求だ。生産性の向上もここから生まれる。「労働者が自由であり、企業家……のように自分のために行動するとき、最大の労働量が供給され、最大の価値が生まれる」(『連合の原理』288頁、邦訳348頁)。労働者は生産を管理する能力も、自分の作業や生産物に対する責任感ももたねばならない。つまり、プルードンは職人の道徳的な高みを模範とするよう呼びかける。そして、豊かな社会主義はここから連続的に導かれるとした。

 プルードンの社会主義は軽やかだが、したたかである。現実的なものにはすべてそれなりの理があると見れば、これを力づくで切り捨てることの方が不自然だ。彼はブルジョアジーも革命的だったことがあると言う。また自分の経験から企業経営の責任の重さも知っている。同時に、民衆のダメな部分も知っている(これも自分自身のことだからだ)。だから、敵(ブルジョアジー)の言い分はすべてまちがいだなどとは言わない。むしろ、敵の武器を利用しようと考える。というより、その武器は本来労働者自身のものなのに横領されていることが多いので、ぜひとも取りもどすべきなのだ。敵のものは否定するという姿勢は、知的怠慢である。しかも、こうした硬直性は不毛だ。プルードンの狙いは社会主義につきまとうジャコバン的伝統からの脱却であった。

 プルードンの社会主義の積極性は矛盾にこだわり、矛盾とともに生きようとしたことにある。彼は矛盾のうちに未来を見、物の豊かさも、生活の起伏にみちた豊かさも、人間の道徳的向上も、すべて矛盾に由来すると考えた(6)。矛盾こそが歴史の運動の法則であり、進歩の支えである。かりに矛盾をなくそうと企てて、善(良きもの)のみであふれた社会を実現しようとしても、悪はくりかえし現れる。たとすれば、悪をバネに前進すると考えた方が健康だ。悪と断絶した別世界を作り上げたつもりになると、その中で悪が生じたときにあわてふためくことになる。昔の方がまだよかったなどと後ろ向きの発想が生まれたりする。哲学の貧困というなら、むしろこうした発想にむかっていうべきである。プルードンの社会主義は、とりあえずわれわれに発想の転換を呼びかける。われわれのこわぱった姿勢をときほぐす。武装放棄ではない。柔軟になるから折れにくくなるのだ。革命的楽天性もここで回復される。


(1)使用した文献は、以下いずれもリヴィエール版のプルードン全集。邦訳は三一書房のもの。ただし、訳文は必ずしもこれによらない。

(2)「社会主義の誤りは、現実を把握せずに未来を空想し、たえず宗教的な夢物語をくりかえしてきたことにあった」(『経済的諸矛盾の体系』第二巻、291頁)。

(3)「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」(『正義論』第二巻、155頁)。

(4)ただし、プルードンの社会主義は、その漸進的性格のゆえに開始点が明確にならず、したがってややドラマチックな要素に欠ける。それに、プルードン自身、民衆の興奮をやや警戒している(「敵」をギロチンにかけて快哉を叫ぶ姿のおぞましさ)。また、民衆を単なる数に還元する多数決方式の民主主義に対しても懐疑的である。

(5)社会の運動が、善をめざしながら悪をうみだすという皮肉なメカニズムを、プルードンは『貧困の哲学――経済的諸矛盾の体系』のあと、彼の社会学的考察の課題とした。それはマルクスの批判に対する反論でもあった。しかし、『経済学――新しい科学の構築の試み』というタイトルで予定されたこの著作は未刊のままである。大量の手稿が残っている。

(6)プルードンは性差のアンチノミーにもこだわる。彼は男女の異質性と相補性の意義を強調し、価値の一元化を拒否したのだが、彼の考え方は当時のフェミニストからも激しく批判された。なるほど、彼が性別役割分業の固定化を承認するような言い回しをしていることに問題があるけれども、彼の真意は多様性に対する寛容の呼びかけであった。

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