2006年
 つぶやき

9/1
◆さん付け
 鹿児島中央高校から出張講義の礼状が来た。
 生徒4人分の感想文も添えられている。
 好意的な文章ばかりで,頬をゆるませるが
 そういう文ばかりを選んだ高校側の配慮もうかがえる。
 ただ,生徒が「斉藤さんは……」と呼ぶのが気になる。
 「斉藤先生」と呼ばれるのに慣れているせいだ。
 いつのまにか,ぼくはすっかり堕落してしまった。
 ぼくを「斉藤さん」と呼ぶ高校生の方が健康だ。

9/2
◆体内時計
 団地の集団清掃は朝7時からだ。
 目覚まし無しでも 6時40分に目が覚めた。
 清掃への参加はここでの暮らしに不可欠だからね。

9/3
◆理髪師バーサン
 オバーサンが一人でやってる場末の床屋に行く。
 いつ行っても客はいないが
 じつはこのオバーサン,なかなか熟達の職人。
 ぼくの頭はふつうに散髪すると,くせ毛がピンと立つ。
 彼女はそこのところをたちまち見抜き
 くせ毛を全体の髪の毛の重みで抑える。
 こうした技に加えて,寡黙なのもよい。
 「いらっしゃいませ」と「終わりました」の二言のみ。
 洗髪しないのがデフォルトってのも興味深い。
 ぼくは2千円払って店を出,風呂屋に向かう。

9/4
◆昔の写真
 すっかり同窓会づいちゃって11月の集まりにも出るつもりだ。
 こんどは高校の同窓会。(人吉市で開かれる)
 「出席者は高校時代の顔写真をメールで送れ」と促される。
 「スキャナーで取り込んで」との指示は
 そういう作業は誰にもできる,との前提に立つ。
 この前の小学校の同窓会ではメールができない人も多かったぞ。
 さて,ぼくの昔の写真は1993年の水害にあい
 水洗いして乾燥させただけで未整理のまま。
 久しぶりに大袋から引っぱり出して眺め入る。

9/5
◆無一文
 学長の誘いで,中央駅前の居酒屋で飲む。
 お勘定の段になって,懐のさびしさが露呈。
 有り金2千円を出し,残りは学長が支払う。
 学長の家まで約1キロ,川沿いの道をいっしょに歩く。
 送り届けて,車で帰ろうと思ったら財布は空。
 わが家までの2キロをふたたび歩いて帰る。

9/6
◆焼肉バイキング
 同僚(女性二人)に誘われて車で焼肉屋に行く。
 ランチバイキング 998円。
 すし,ケーキなどもそろっていて
 山盛りの皿を手にしたおばさんたちで混雑する。
 はしたなくも,こちらも勢いづき
 山ほどの肉,山ほどのサラダをぱくついた。
 過剰なまでの満腹感ってのも久しぶり。

9/7
◆ジャカルタのホテル
 学生を引率してインドネシアに来た。
 繁華街のホテルに泊まったが
 浴室の床一面に水がたまっている。
 どこかから水がもれているのだ。
 フロントに電話したらボーイが来たものの
 「Tomorrow morning」とのみ言って去る。

9/8
◆インドネシア大学
 インドネシアでトップの国立大学でも
 外国人のための語学教室を開いて商売をする。
 市内からはけっこう遠いが,タクシーで6万ルピア弱(約7百円)。
 キャンパスは広すぎて,タクシーの運転手も迷う。

9/9
◆ホテルで洗濯
 持参した衣類は数が少ないので毎日洗う。
 風呂に入りながら,その日着た物を洗う。
 米映画「シャレード」にも似たようなシーンがある。
 いや,あれは男が服を着たまま洗うんだったな。

9/10
◆最後の入浴
 ホテル4泊目,最終日にようやく水漏れが解消した。
 副産物なのか,お湯も熱いのが出るようになった。
 10日からしばらくは熱い風呂ともおさらばだ。
 これで最後かと思うと,湯船から出るのも惜しい。

9/11
◆ホームステイ
 バンドンに来たが,2年前と同じところに泊まる。
 変わった点は娘が歯学部に進み,下宿生活をしていることと
 息子がまもなく結婚すること(もう家を出た)。
 老夫婦ふたりだけの暮らしで,食事もやや質素に。
 2004年8月末から9月初旬までの「つぶやき」を参照されたい。

◆ITB(バンドン工科大学)
 10日はたまたまITBで美術作品バザールの日。
 年に1度開かれ,派手で大がかりな大学祭って感じ。
 市内に交通大渋滞を引き起こすほどである。
 夕方,連れて行ってもらった
 安くて良い物があれば買うつもりでいたが
 迷子にならぬよう,ついて歩くので精一杯。


9/12
◆値段の新旧比較
 バンドン市内を縦横に走る小型の乗合バスに乗る。
 2年前は料金500ルピアだったが,今は2000ルピア前後。
 4倍化したものの,日本円では25円ほどだ。
 一方,映画館の入場料は15,000 Rp(200円)のまま。
 日本語が読めるネットカフェ(Warnet)が30分で約30円。
 スピードの遅さは2年前と変わらぬ。

9/13
◆インド映画
 夕食時の会話にはあいかわらず苦労している。
 とくに奥さんと二人だけだと,英語も使えない。
 ヘロヘロのインドネシア語で必死に会話する。
 インド映画(いわゆるボリウッド映画)を話題にしたら
 会話の流れで場末の映画館に行くことに決まる。
 といっても,車の運転手と二人で行くのだ。
 本来なら運転手は外で待つことになっていたが
 車中で「君も映画が好き?」と下手に質問したため
 これが誘いの文句とされ,彼は喜んでついてきた。
 場末ゆえ入場料は1人7千ルピア(80円)と安い。
 映画「Zinda」はアクション物で,予想どおりの内容。
 話はでたらめだし,主人公は不死身。
 主演の Sanjay Dutt は有名なスターなんだそうだ。

9/14
◆ニュースの入手
 金持ちの家には必ずあるパラボラアンテナのおかげで
 NHKのテレビニュースをみることができる。
 玄関先に置かれたテレビを,朝,出かける前にみている。
 本当は,ネットカフェで得る情報の方が豊富で深いのだが
 ホームステイ先のおやじの心づかいをムゲにできぬ。
 大きいテレビを運んできて,調節もしてくれた。
 「どう?うれしい?」という顔には 笑顔で答えるしかない。

9/15
◆ Jakarta Post
 バンドンでも毎日かかさず英字新聞を読んでいる。
 社会批判的な編集の姿勢もさることながら
 とにかく英語が読みやすいので気に入っている。
 いわゆるグローバル・イングリッシュってやつだね。
 英語はこういうふうに書かなきゃ,と勉強になる。
 んが,それでも英語をしゃべる力はいっこうにつかない。

9/16
◆彷徨
 バンドンは Outlet の店が多く,買い物の町である。
 しかし,買い物がないと,あまり行くところがない。
 すでに何度も来ている町なのでなおさらだ。
 午後,時間があったので一人でバスに乗る。
 街中へ行くつもりなのに,車は郊外に向かう。
 乗り間違いに気づいたが,そのまま乗り続ける。
 とくにあてもないので,それでいいのだ。

9/17
◆ジャカルタふたたび
 ホームステイ先のおばさんの親戚の結婚式に出る。
 場所はジャカルタだ。
 金曜の午後に行き,その日の夜には帰ってくる……
 というのでOKしたが,それは聞き間違い。
 念のため英語で聞き直すと,帰るのは土曜の夜だと。
 二日間はつらいな,と思ったが,もう後に引けぬ。
 ジャカルタは暑かった。
 しかも,泊まった家は豪邸なのに,蚊がいっぱい。
 泊まったのが奥の部屋だし,深夜に殺虫剤など頼みもできぬ。

◆交通事故
 結婚式はマスジッド(イスラム寺院)のなかで開かれた。
 披露宴は,夕方から別の会場で開かれる。
 ぼくはホームステイ先の家族とおそろいのスーツを着る。
 そして,そろって宴会に出る……予定だった。
 が,息子がジャカルタに車で来る途中,事故を起こす。
 息子の車がトラックにぶつかったらしい。
 おやじさんたちは青ざめて警察に駆けつけた。
 んで,披露宴はぼく一人で行くことになった。
 寿司・刺身なども用意されており,ひたすらパクつく


9/18
◆ジャカルタひとり遊び
 息子の事件のせいで土曜も帰れず。
 泊まった家の近くがブロックMという繁華街で
 そこには一週間前に泊まったホテルがある。
 つまり,勝手知ったる地域なので,そこで遊ぶ。
 バジャイ(三輪タクシー)には初めて乗った。
 普通の市内バスに乗るのにもチャレンジした。
 夕方,おばさんといっしょにバンドンに帰る。
 おやじさんはもう数日ジャカルタに残るという。

9/19
◆バンドンで買い物
 おばさんがぼくの買い物につきあうという。
 いや,一人で行きます,といっても聞かない。
 けっきょく大きなショッピングセンターなどを回る。
 おばさんは,店の中ではぼくを放置してくれた。
 ぼくはフラフラうろついて,なぜかたくさん買い物をした。
 安物ばかりですけどね。
 昼は,最上階のフードコートで焼魚を食べる。
 おばさんに促されるまま,手で食べた。
 魚の身を指でほじって食べるのは初めての体験。

◆バイク・タクシー
 夕方,こちらの大学教員宅で遊んだので,お迎えの車は来ない。
 訪問先の運転手が送ってくれるはずだったからだ。
 ところが,この運転手は住み込みじゃなく,通いで働いており
 6時までが勤務時間ゆえ,最後までは送ってくれず。
 ま〜,ぼくの帰るところは道が入り組んでいるからね。
 ぼくは大通りで車を降り,バイク・タクシーに乗り換える。
 Ojek オジェッと呼ばれる乗り物だ。
 客が一人だと,普通のタクシーより便利で速い。
 ぼくを後ろに乗せたバイクは狭い路地をスイスイと走る。
 値段は6千ルピア(70円)だった。


9/20
◆お祈り
 夕食はいつもより早く,6時半にお呼びがかかった。
 居間に行けば,イスラム服を着た男たちがたくさんいる。
 交通事故を起こしたこの家の息子のために
 親戚や近所の人が集まって,みんなで祈るんだと。
 家のおばさんを除けば男ばかりの集まりだ。

 そして,しずしずと地下の部屋に降りていった。
 彼らが斉唱する祈りを聞きながらの食事。

 [後記:交通事故で,息子は無傷ながら相手が死んだんだそうだ。
 一家で大騒ぎしていたのも,それならば理解できる。
 ぼくは事情がわからぬままヘラヘラしてて,申し訳ない]


9/21
◆バリ島
 ホテル Masa Inn は庶民的なクタ海岸に近い安宿だが
 プールも2個ついてるし,騒音も聞こえぬ。
 ベッドに横たわり,ひたすら眠る。
 なんだか,けっこう疲れがたまっていたようだ。

9/22
◆デンパサール
 バリ島の州都まで小型乗合バス(ベモ)で行く。
 バスの終点は少し町はずれだったので
 中心部(と思われるところ)まで地図をたよりに歩く。
 街並みや人々のようすをゆっくり眺めたかった。
 地図はデータが古く,いくつかのデパートはすでに閉店。
 新しい店との競争に負けて,とはいずこも同じ。
 島で最古のデパート Tiara Dewata は開いていた。
 2階建てのせいで,発見しにくい地味な店。
 エスカレータは壊れている。

9/23
◆両替の手品
 手元にお金がなくなり,円をルピアに替える。
 少額でよいのだがあいにく1万円札しかない。
 ここらじゃ1円=77ルピアが相場のようだ。
 道ばたの看板で1円=79.99ルピアの両替屋をみつけた。
 手数料なし,というのにもひかれて,店に入る。
 中には怪しげなオヤジが2人。
 1万円だすと,オヤジが2万ルピア札5枚一組を束にして
 テーブルに7つ並べ,それから1万ルピア札を1枚だす。
 ぼくが「1万じゃなく,あと10万でしょ」というと
 2万ルピアを1枚ずつ,5枚さしだす。
 ぼくはテーブルの札束をかき集めて,店を出た。
 後でゆっくり数えなおすと,70万ルピアしかない。
 いつのまにか1束抜き取られたみたい。
 勉強になりました。(But too late)

9/24
◆健康
 ジャカルタでもバンドンでもバリ島でも,ひたすら歩いた。
 ほとんど一日中歩いていたような気がする。
 食事はおいしいし,体調もいい。
 インドネシアに来ると健康になるみたい。

9/25
◆ベタベタ
 お昼近く,鹿児島に戻り,空港で解散した。
 学生たちにはボーフレンドなどのお迎えがある。
 ぼくはその一人の車に乗せてもらった。
 学生は人の目もはばからずイチャつく。
 性のエネルギーのようなものが車に充満する。

9/26
◆生魚 row fish
 日本に帰ったら握り寿司が食べたい,という人がいた。
 ぼくは寿司があまり好きではない。
 というか,今までおいしい寿司を食べたことがない。
 それは刺身についても同じ。
 好んで食べたいとは思わない。
 じつに安上がりの体質なのである。

9/27
◆日常
 鹿児島にもどれば,いつもの生活パターンに復帰する。
 スーパーで食材を買って自炊する。
 多少変化をつけるためにニンジンを生で食べる。
 パキパキとした食感を楽しむが,なんだかさびしい。

9/28
◆昭和レトロ
 夜,日本映画「フラガール」を観に行く。
 常磐ハワイアンセンター創設の物語。
 泣かせの仕掛けで……泣きました(恥)。
 風景のCGは少し下手っぽく興ざめだが
 炭住長屋の室内の小汚さはまさに昭和だった。

9/29
◆おしゃか
 研究室のパソコンにつないだスピーカーが壊れた。
 BOSE の PAM-DA で,10年前に買ったモノ。
 常時スイッチが入りっぱなしの状態だった。
 インドネシアから帰ってきたら音が出なくなっていた。
 名器との評判どおり,いい音がしてたんだけどな〜。
 コンデンサを交換すればどうにかなりそうだが
 そういう部品を探すのも,工作するのもめんどい。

9/30
◆はた迷惑
 鹿児島から羽田行きの飛行機に乗る。
 ぼくの前の席に「普通人」ぽいオヤジが来て座る。
 空席が多かったので,後方から移ってきたのだ。
 移るのはかまわないが,席を後ろに倒すのがうざい。
 挨拶もなく,力一杯リクライニングする。
 こういうオヤジでも若者に説教したりしてんだろうな。
 なんてことを考えたら,ひとごとじゃない気がしてきた。

過去の記事
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