調査報告:ミニシアターの存在意義

鹿児島県立短期大学『地域研究年報』に寄稿
[2009年12月31日]


シネコンの限界

 映画をアミューズメント(娯楽)の道具とみなし,その集客能力に期待して,鹿児島でも映画館で「中心市街地」を活性化しようという企てがある。天文館にシネコンをつくる動きである。
 経験的にいえば,シネコンそれ自体は新しい映画愛好者を生み出さず,観客数を増大させるものではない。じっさい全国的には,シネコン増設の動きがとまり,逆に倒産や撤退があいついでいる。鹿児島市内にシネコンはすでに2館あるから,シネコンの新設はいわゆる「パイの奪い合い」を引き起こすのみであろう。これが大方の意見である。
 しかし,予算規模20数億円の事業は,なぜかとてもありがたみのあるものらしく,鹿児島市も鹿児島商工会議所も天文館シネコン建設について,全面支援の構えをくずさない。余計なことながら,われわれは,佐賀市の中心商店街が立体駐車場をつくって,その借金が返せずに「破産」したケースを思い起す。(注:2008年5月末,佐賀市の中心部にある呉服町名店街協同組合は佐賀地裁に自己破産を申し立てた。県の融資を受けて建設した立体駐車場は利用者が少なく,県からの融資額4億円のうち約3億8800万円が返済できなくなっていたからである。駐車場があれば客が来るという期待は外れ,車の利用者は郊外大型店に集まった)
 スクリーン数に関して,九州内で鹿児島は下位にあるとはいえ,福岡・熊本を除く他県より著しく劣っているわけではない(注:県ごとのスクリーン総数を多い順に並べると,福岡 160,熊本 53,長崎 30,大分 28,佐賀 27,鹿児島 24,宮崎 18,ちなみに沖縄 33)。しかし,他県にあって鹿児島にないものが二つある。ひとつは毎年開催される映画祭,もうひとつがミニシアターである。
 なぜ鹿児島県にはミニシアターがないのか? 逆にいえば,なぜ他県ではミニシアターが成り立ちうるのか? その事情を調べてみたい。

文化装置としての映画館

 日本で公開される映画は毎年およそ8百本。最近は邦画が洋画を上回ってきたが,比率はほぼ五分五分。すなわち,邦画は毎年4百本が公開されているが,映画館で上映されない(映画祭などのイベントでのみ上映されるような)インディペンデント系の映画もほぼ同数あると見られる。観客数は増えていないが,映画をつくりたがる人,映像文化に興味のある人の数は増えているようである。
 さて,鹿児島で観ることのできる映画の本数は,東京に比べるとその4分の1にすぎない。シネコン2館(計20スクリーン)を備えているとはいえ,両館のプログラムはほぼ同一で,しかも観客動員能力が高そうな(すなわち俗受けしそうな)作品しか上映されない。シネコンの性格上,よほど話題性が高くないかぎり,作家性の強い作品や,おもしろさが分かりにくい作品は上映されない。
 書店にたとえるならば,ここはマンガ・週刊誌など軽い読み物や実用書しか置かず,文学や哲学の本をそろえていないようなものである。そういう本屋しかない町は,都市機能を十全に果たせない。そこに住めば知性や感性を深める機会に恵まれるのが,都会生活のメリットである。映画館の存在もその重要な一つである。だからこそ,鹿児島以外の他県では,少なくとも県都に一軒,いわゆる名画座がある。
 ミニシアターがなければ,ひとびとは世界の「名画」に接することができない。たしかにレンタルビデオショップには,とても全部は観きれないほど沢山の作品が並ぶ。しかし,レンタル屋の品揃えは当地で公開された作品を柱とするらしく,営業的な観点からすれば,当地で話題にもならなかった作品は積極的に揃えられるはずもない。つまり,レンタル屋での品揃えも,当地の「民度」すなわち「文化レベル」を反映する。
 また,そもそも映画は映画館で鑑賞すべきものである。映画館に「わざわざ」足を運ぶこと,映画館の「暗がり」のなかで映画を観ること,映画を観ながら他の観客と感情を同調させること,こうしたことが映画鑑賞に「ハレ」の気分を付与する。すなわち,その映画を観たことが記憶に刻まれる。その時代を生きたことが後で思い出される。
 まさしく,良い映画を映画館で観ることが人生を豊かにするのである。

映画文化の貧困県

 最近はシネコンですら経営が厳しいようだが,ミニシアターならなおさらだ。映画館があるから人が来る時代ではない。シネコンはアミューズメントを強調して集客に血道を上げるが,ミニシアターはほとんど教育機関と同様に,観客を育てながら,来場者を増やさねばならない。ミニシアターの設立・存続には,採算の度外視,赤字経営を覚悟しなければならない。じっさい,全国どこのミニシアターも,経営はきわめて良質のボランティア活動に等しい。理念に殉じて苦難に耐える,という姿があちこちで見られる。平たく言えば,映画好きが高じてがんばっているバカモノがどこにもいるのである。
 文化行政が「進んでいる」自治体は,そうした映画好きをサポートし,ミニシアターを箱物として提供している。有名どころでは,神奈川県の川崎アートセンター,兵庫県の神戸アートビレッジセンターなどがある。
 ミニシアターがない地域では,映画の自主上映会が開かれる。鹿児島県民はその点でも苦労を強いられる。フィルム上映のための映写機を備えた施設が皆無(!)だからである。こういう劣悪な環境は,九州では鹿児島県でしか見られない。(注:これは全国公立文化施設協会が公表している「35ミリ映写機所有会員施設一覧」による)
 したがって,鹿児島で映画の自主上映会を開くためには,映写機を(しばしば他県の業者から)レンタルしなければならない。そのさい映写技師も随伴するので,費用は余計にかさむ。
 鹿児島の問題は映写機にとどまらない。スクリーンも劣悪である。とくに鹿児島県歴史資料館(黎明館)の講堂のスクリーンは,歪みが著しく,画面が波打つ。鹿児島県民交流センターは大ホールも中ホールもスクリーンは小さい。
 また,公立の施設は夕方以降の利用が難しいなどの問題もある。禁煙や非常口などの照明が上映中にも消えず(消してもらえず),さらに客席間の通路照明も無用に明るく,映画鑑賞の妨げになっている施設もある。
 こうした劣悪さを見れば,鹿児島にミニシアターが存在しないことと,鹿児島で映画祭が開催されないことが,根の部分ではつながっていると理解できる。

鹿児島コミュニティシネマ

 2006年の暮れ,「シネシティ文化」および「鹿児島東宝」が閉館し,鹿児島市中心部の天文館商店街から映画館の灯が消えた。もともとマイナー系の映画はなかなか観ることのできない鹿児島市ではあるが,多少とも名画座の匂いを残していた「シネシティ文化」の閉館は鹿児島の映画愛好者にとって痛かった。
 そこで,名画の自主上映を企てる会が発足する。しばらくの準備期間を経て,2007年6月16日,「鹿児島コミュニティシネマ」が正式に誕生した。
 この会の趣旨は以下のとおり。
 鹿児島における豊かな映画環境を創造することをめざし,地域に根ざした上映活動や、より映画を楽しむために関連する事業を継続的に行う。
 1.いろいろな映画が観られる街にする
 2.映画について学ぶ機会をつくる
 3.情報発信する (機関紙・ホームページ)
 4.他団体の上映活動等を支援する
 5.活動の理解者を増やす
 6.その他関連する活動をする

この会はその趣旨に沿って,1〜2ヶ月に1回,上映会を催している。同時に,ミニシアターの設立を狙って,勉強会を重ねている。
 しかし,後で述べる他県の事情からも明らかなように,ミニシアターを実現させ,存続させるのは,こうした組織体の活動によってではなく,一人の映画バカの,自己犠牲的な努力によってである。そして,鹿児島にはこうした映画バカがいない。「なこよかひっとべ」の精神は消えた。
 このことは,いま計画されている天文館シネコンにも深刻な影響をおよぼすであろう。すなわち,天文館シネコンを推進する集団には,映画バカはいなさそうであり,そこに映画バカがいないと,上映プログラム(選定される作品)は勢い集客力のみが基準となるだろう。しかも,映画バカと無縁の組織は経営が赤字に転ずれば,躊躇なく撤退するにちがいない。出資した自治体には負債だけが残る。

他県の事情調査

 2008年5月から2009年3月にかけて,九州を中心に6つの地方都市に赴き,各地のミニシアター経営者などに面会して,聞き取り調査を行った。
 その6個所は以下のとおりである。そして,そのうち5個所については,鹿児島コミュニティシネマ通信(月刊の内部報,以下「通信」と略す)に「訪問記」を書いたので,それらも資料として末尾に添付する。

松山市(愛媛県)
 2008年5月24〜25日,学会出張を利用して,愛媛県唯一のアート系映画館「シネマルナティック」を訪問し,経営者兼支配人兼従業員である橋本達也氏と面談した。詳しくは資料1(通信第4号=2008年6月号所収の記事)を参照。

宮崎市
 2008年7月5〜6日,宮崎映画祭(第14回)が開かれた宮崎キネマ館を訪れ,その運営を担当するNPO法人宮崎文化本舗の理事長兼事務局長,石田達也氏に会って,お話をうかがった。

長崎市
 2008年7月25〜26日,長崎に赴き,映画館「長崎セントラル」の館主,山崎泰蔵氏と面談。また,繁華街=浜町で開かれる映画祭の企画集団「アートクェイク」代表者=安元哲男氏からも詳しく話をきくことができた。詳しくは資料2(通信第6号=2008年8月号所収の記事)を参照。

深谷市(埼玉県)
 2009年2月16〜17日,別の用事で上京したのを機に,埼玉県まで脚を伸ばす。映画館を利用したまちづくりで全国的に有名な深谷市と,そこの「深谷シネマ」を見るためである。映画館を経営するNPO法人「市民シアター・エフ」の代表者=竹石研二氏も歓迎してくれた。詳しくは資料3(通信第13号=2009年3月号所収の記事)を参照。

久留米市
 2009年3月11〜12日,NPOによる映画館経営に失敗した久留米市の事情を現地調査する。久留米大学経済学部文化経済学科の駄田井正教授に会い,その後,久留米日々新聞社,久留米のTMOに携わる株式会社ハイマート久留米を訪問する。そして,閉館した久留米スカラ座をかつて経営していたNPO法人カーテンコールの副代表=小路賢司氏および映写技術担当=福島英治氏に面談する。このお二人からは貴重な資料をお貸しいただいた。詳しくは資料4(通信第14号=2009年4月号所収の記事)を参照。

佐賀市
 2009年3月18〜19日,衰退著しい佐賀市の中心商店街を活性化させるべく再開された映画館「シアター・シエマ」を訪問した。新しい経営者はまだ30代の若者である。その芳賀英行氏に会い,お話をうかがった。詳しくは資料5(通信第15号=2009年5月号所収の記事)を参照。